晴れ渡る空の下、その一大イベントを一目見ようと多数の人だかりができていた。
国王所有の庭園を会場に、貴族や有識者、関係者が参列し、警備の兵が装飾装備で周囲を警護している。
そのそうそうたる参列者に見守られる式典会場の中心には、国王エドゥアールを前に4つの小隊が並んでいた。
4小隊を統べる隊長が先頭に立ち、それぞれの小隊長が並び、旗手を務める小隊副長達の4つの旗が翻り、小隊に属する各10人前後の隊員達が整然と列を成していた。
国王直属精鋭部隊、その名を【シュヴァリエ・ド・シャッフル】と言う部隊。
新入隊者を迎える任命式に過ぎないのだが、何せシュヴァリエ・ド・シャッフルと言えば、古来よりソレイラントの代々の国王に従う由緒正しい精鋭部隊として国民の関心は非常に高い。
その為何時の頃からか、シュヴァリエ・ド・シャッフルの任命式等はこういった派手なものになっていた。
そして愈々開始を告げる勇壮なファンファーレが鳴り響き、隊長である通称ジョーカーがマントを翻し、声を張り上げる。
「新入隊者!前へ!」
4つの列が左右に割れ、現れたのは真新しい金縁の甲冑に身を包んだ20前後の女性の姿。
晴れやかで堂々とし、しかし流石というべきか、気品をも漂わせる彼女。
堂々とした歩みが真紅の長い髪と同じく真紅のマントをはためかせ、ジョーカーの前に出る。
スッと新入隊者の隣に動くジョーカーは、そのまま恭しく国王に向けて膝をつくと、国王エドゥアールは静かに頷くのだった。
国王が一呼吸置き、胸のブローチに左手を添え右手を空に掲げると、シュヴァリエ・ド・シャッフルの証であるプレートがその手に収まる。
「候補者、フィル・テュラム…」
「はい」
フィルと呼ばれた彼女は、国王の前に出ると、ジョーカーと同じく国王の前で膝をつく。
「只今を以ってシュヴァリエの称号を与え、我が直属部隊シュヴァリエ・ド・シャッフルへの入隊を許可します」
差し出されるプレートを両手で受け取る。
プレートにはスペードの型に金が鋳込まれ、そこに刻まれた文字は…。
「フィル・シュヴァリエ・ド・テュラム。スペード・エースを任命します」
スペード・エース…その言葉に、観衆は勿論、貴族達の中にもどよめきを孕む者がいた。
シュヴァリエ・ド・シャッフルといえば、その全員がソレイラントのエリート中のエリートである。
そして、エースと付く者は、そんな小隊の中でも最強を示すコードネームなのだ。
新たな隊員の誕生である以上に、それまでの兵を押さえるほどの実力者。
そんな人物の登場にどよめき立つのは自然な流れだった。
「謹んで…陛下と国家の為にこの身を捧げます」
episodeT 剣姫-Sword Princess-
世は並べて事もなし…とは誰の言葉だったか。
ソレイラントの王都ソレスティアは活気に満ちた喧騒で溢れていた。
街の一角にあるオープンカフェは、その日のような陽の当たる日はちょっとした人気スポットでもある。
街の喧騒の例に漏れず、昼下がりの時間帯ともなれば多くの人達が利用する。
子供連れの家族、うら若いカップル、友達と連れ立って訪れる者も多い。
そんなオープンカフェでちょっとした騒動が起こったのは正にその時だった。
「ほらそこを退くんだな平民ども!ボク様が誰だか知ってるんだな!」
席の間を縫うように進む所を、強引に撥ね退けるようにして現れる一団がいた。
この一角を取り仕切っている徴税官の貴族である。
その体型は、聞こえよく言えばふくよかの一言に尽きる男。
頬や顎下が贅肉で膨れて垂れ、身長より胴回りの方が大きいと言わんばかりに太った体型をしている。
付き添いの者達を連れ、中央の席の前に立つ。
「そこはボク様の席なんだな。さっさと退くんだな!」
「え…でも…」
そこに座っていたのは3人の親子連れ。
突然の横暴に戸惑いがちな声を上げるが、男の付き添いの者達が一斉に杖を向けた事で慌てて席を空ける。
「こ…これはこれはラザール様!」
慌てて寄ってきた店長が、ぎこちない口調で揉み手をする。
いかにもな貴族を相手にする店長を責める者は居ない。
下手に神経を逆撫でする事をすれば、後でどのような税の取立てが来るか想像に難くないからだ。
「フヒヒヒ!いつもの特性ブレンドコーヒーなんだな」
「は、はい!そろそろお見えになる頃と思って準備しておりました」
へこへこと頭を下げながら、給仕の従業員に持って来させたコーヒーを差し出す。
「相変わらず手際の良さは流石なんだな」
大きな態度で手を伸ばして受け取る。
しかし受け取った途端、それはコーヒーカップの受皿のみになっていた。
何せ横から手が伸び、コーヒーカップだけ取り上げてしまったのだ。
店長は盛大に慌て、ラザールと呼ばれた貴族の男も不機嫌な顔でその手の主を盗み見る。
取り上げたコーヒーに口をつけていたのは、紅い髪が美しく風に舞う20歳程の女性。
白の簡素なワンピースドレスを上品に着こなしているが、中々大胆な行動をする、
「甘っ!?豆の香りも何もかも砂糖で潰れすぎ!」
黙って見ていれば見蕩れるような女性だが、その容姿に自覚が無いのかそれとも天然か、口を横に大きく開いて舌を押し出し、そんな所感を述べた。
「お前何なんだな!」
机を派手に叩きながらラザールが女性に噛み付くが、当の彼女はワンテンポ遅れて自分の事だと気付いたのか、「私?」と自分を指差してみせる。
「ボク様のお気に入りを横取りしておいて、只では済まないんだな!」
「あぁそれは悪かったわ。コレのお代は私が出すわね」
軽くあしらうような謝り方ではあるが、周囲の者から見れば気が気ではなかった。
下手に貴族の逆鱗に触れようものなら、即牢屋にぶち込まれる事さえある。
「バカにするんじゃないんだな!」
女性の腕を掴んで強引に振り向かせるラザール。
何とも言えない、恨めしそうな顔をするガマガエルと例えられそうな顔で迫ってくる。
「しょうがないわね…どうすればいいのかしら?」
溜息がちにラザールを見遣る。
怒り心頭のラザールだが、よくよく見ればなるほど、世辞抜きになかなかの美女である。
どこか勝気な雰囲気はあるものの、引き締まった顔のラインに白い肌。澄んだ褐色の瞳と燃え上がるような紅い髪のコントラストは見事。
簡素な白いドレスを着こなし清潔感のある印象を受けるが、その内側に潜むボディーラインは一級のモデルと言っても差し支えないだろう。
「ふ…ふひひひ…そうだな…ボク様の妾になるなら…」
そう言いながら彼女の胸に手を伸ばし…。
…ていた筈だった。
視界が大きく回ったと気付いたのは、次の瞬間腕を中心に全身打ちつけたような痛みが走った時だった。
「あいだだだ!!?」
腕に走る痛みは背中に捻り上げられたモノ。
更には背中に彼女が腰掛けて完全に抑えられてしまう。
一体何が起こったのか、事を見ていた周囲の人々さえも、ラザールが彼女に投げられたと気付いたのは押さえられた後だった。
「街のど真ん中でセクハラなんて随分ね…ん?」
ふと、ラザールを投げ飛ばした時に転がった本が目に入り、拾い上げる。
右手でラザールの腕を捻り上げたまま左手で本を開き…。
「き…貴様!ラザール様から離れろ!」
付き添いの男達が彼女に掴み掛かろうとするが、彼女は埃でも払うように本を持ったままの左手で次々に往なしてしまう。
「あで!?」「ぐふぉ!」「ふぎゃ!!」
あまりにも見事な手際に周囲では感嘆のどよめきが起こるほど。
男達が飛び掛ってから、男達が折り重なる山が出来上がるまでほんの数秒の事だった。
再びその本に目を落とすと、ラザールが自身の税収を記帳したメモのようであった。
「いでででっ!!…はっ!か…返すんだな!それを返…あぎゃぎゃ!!?」
右腕がそろそろありえない方向にいきそうなほどに捻られる。
それを全く気にしていないように内容に目を通していく女性。
そしてある程度見た所で、傍でオロオロしていたカフェの店長に言い放った。
「マスター。憲兵呼んできてもらえる?」
「へ?…あ…はい」
唖然となりながら、最早流されるままに飛び出していく店長。
「さぁて…私が何を言いたいか分かるかしら?」
漸くラザールの上から退くと、両手で本を閉じながら迫る。
「いでで…っ!それはこっちの台詞なんだな!お前なんかボク様の地下牢で徹底的に調教してやる…!?」
なにやら危険な台詞が聞こえた気がするが、そんなラザールが突然見せられたモノの前に硬直してしまう。
スペード型に金が鋳込まれ、Aの文字が躍るプレート。
それが意味する所は一つしかない。
その女性こそが、つい数週間前に国王直属部隊に新たに加わった大型新人、フィル・シュヴァリエ・ド・テュラムだったのだ。
驚愕のあまり、瞼も顎も攣りそうなほどに開いてしまう。
「先ずはそこに座りなさい」
「は…はひ!」
慌てて椅子に腰掛ける。
徴税官といえど、シュヴァリエ・ド・シャッフルに逆らえば、国王に対する反逆と同意義なのだ。
「誰が椅子って言ったの?地面っ!!正座ァ!!!」
地面を踏みしめるフィルのその動作すら竦み上がるような迫力がある。
最早反射的に、椅子から弾き飛ばされたように地面に正座するラザール。
「このノートに記載されてる内容、本当かしら?」
「う…!」
覚悟はしていたが、ソレを誤魔化せる答えを用意できるほどラザールには余裕などなかった。
「返事ィィ!!!」
「はひ!!紛れも無い事実でございまひゅっ!!」
声は裏返るわ舌は噛むわで返答が散々な格好になるが、そんな事まで構っていられる筈もない。
「陛下が定めた基準値より随分多めに徴収してるわね…何故かしら?」
「そ…それは…っ」
「返事ははっきりっ!!!」
「はいィィ!!?」
この迫力の前に、役人の検問がどれほどお上品に見えるだろうか…。
そもそもこの迫力自体が半端ではない。
腹を空かせた野良ドラゴンに睨まれたってこうはいかない。
ラザールは早くも泣きそうになっていた。
程なくして憲兵を連れたシュヴァリエ・ド・シャッフルの1人が現れた。
本来こういった仕事に彼らは携わらないのだが、何せ街のど真ん中の騒動にその1人が居ると聞いて思う所があったのだろう。
彼はスペードの10…つまりはフィルにAの座を明け渡した者だった。
「今日はオフだって言うのに元気だな」
苦笑交じりに声を掛けてきたスペード10ことジョセフ・シュヴァリエ・ド・フェレッテ。
「あらジョセフ?だってセクハラ親父の上に違法徴税よ?放っておけるわけないでしょ」
ジョセフが連れてきた憲兵に、ラザールの連行を指示し証拠品のメモ帳を渡すフィル。
「た…助かったんだな…反省するからもう牢屋でも豚小屋でも連れて行ってほしいんだな…」
憲兵はただ、ラザールの発言に怪訝な顔はしていた。
「…相当絞ったな?」
哀れみとも同情とも取れるような顔をしながら、連行されていくラザールの後姿を見送るジョセフがそう呟く。
「相当?」
「…いや、少し…か?」
矛先が自分に向いては堪らない。
適当に茶を濁しつつ…。
「って、どっちにしてもまた地が出たな…?上品な淑女を気取るんじゃなかったのか?」
「…あ」
どうにも頭より先に口が出てしまう癖がある。
せっかく最高の衛士隊に入ったのだから、もう少し淑やかな物腰を身に付けようとしたのだが…結果はあの様であった。
そしてここは天下の往来。唖然とした人々が大勢見ている。
「…まぁしょうがないわ、少しずつ身に付ければいいんだもの」
「正論といえば正論だが、ここで言っても誤魔化し文句じゃないか?」
「あら〜ミスター・ジョセフ、何て言いましたの〜?もう一度ぬかして御覧なさいな〜?」
突然あからさまに猫を被ったような態度を取るが、その裏にある威圧感がダダ漏れ極まりない。
「いえ気のせいデス、ハイ」
王城ミューゲル・ハイツの執務室。
エドゥアールの部屋に呼び出されていたフィルが、その日初めての国王からの任務を受ける事となた。
「山賊?」
振り向く国王の視線と目を合わせながら、そんな疑問符を浮かべた。
「そう…厄介な事に相当な腕利き揃いのようで、哨戒中の兵達も手を焼いてるんだそうだ。しかもジェンダとの交通の要所によく出没するものだから、放っておくわけにもいかない」
フィルが疑問符を持って一度返したのも無理もない。
事情はエドゥアールが言う通りなのだが、よほどの相手でないかぎり山賊退治を請け負う事は無い。
「不満ですか?」
そういった所からだろうか、国王が問い返してみる。
「そんなワケないわ、初仕事しっかりこなしてみせるわよ?」
どうやら杞憂だったようだ。
「では…お願いしますよ」
晴れやかな顔で敬礼し、執務室を後にする。
執務室を出た所で、見た事のある顔に出くわした。
「あらエリックくん。どうしたの?」
そこに居たのは、入隊当時史上最年少と謳われた隊員。
銃士隊であるクラブの6であるエリック・ワルト・シュヴァリエ・ド・ボルヌだった。
現在18歳なのだが、如何せん背が低く童顔なため、14・5歳に見られる事も少なくない。
「ふぃ…フィルさん…!」
妙に緊張気味に身を強張らせ、背筋を伸ばして敬礼する。
「さ、山賊退治を一緒にする事になりました!よ…よろしくお願いします!」
真剣な面持ちで声を張り出すエリックに、フィルが微笑んでみせた。
「ふふ…ありがと。初仕事だし、ちょーっと緊張してたのよね」
いや、どう見ても緊張しているのはエリックの方だ。
そんなエリックの肩をポンと叩き、「よろしく」と口添え、回廊を進み始めるフィルだった。
フィルの後姿を見送ると、フィルが触れた肩に手を伸ばして顔が赤く染まる。
「陛下に進言して一緒にしてもらった…の間違いだろチビ公」
「っっ!!」
エリックはそこに誰も居ないと思っていたが違った。
別の隊員が一部始終を覗いていたのだろう、ニヤつきながら物影から出てくる。
「まぁチビ公が惚れるのも無理ねぇな。強いし面いいし、何だかんだで面倒見もいいからよ」
エリックの頭をペシペシと叩きながら、同じくフィルが去っていった方向を眺める。
「フリーだったら俺だって放っておかねぇのになぁ…うごぉっ!?!?」
顔が茹ってあっという間にピークを迎えたエリックが、突然その隊員の股間を蹴り上げてしまう。
それも小柄とはいえ思い切りだ。
王の執務室前で盛大に飛び跳ね、身悶えするその隊員を放置して、少年の純真な心が爆発したように駆け出すのだった。
そんなエリックらのやり取りを知る由も無く、回廊を歩いていたフィルが胸に仕舞っていたロケットを取り出す。
その中の写真には幼いフィルに並んで写る、褐色の髪の少々気難しそうな少年の顔。
少年の背後から、魔法カメラを盗み見るようにして気弱そうな視線をちらつかせる赤い瞳の少女の姿もあった。
思えばあの少年はどうしてるだろうか。
故郷ウッドークを後にする時、珍しく激しく取り乱していたのを思い出す。
そして…彼はフィルに想いの丈をぶつけてきた。
”好きなんだよ…!フィル姉が居ないとダメなんだよ!”
あの時の表情を、言葉を、忘れた日は無かった。
故郷に居た頃から、何時の頃からか、フィル自身も彼を意識し始めていた。
しかし自分の実態はどうだろう。頭より先に口が走り、口より先に手が出る暴力女。
女の子らしさの欠片もなかった自分に自信が無かった。
なら彼の為に何ができるだろうか…。
辿り着いた答えがここだった。
彼が住む世界を、彼を支える社会を、国を、全てを守れるなら…。
そんな腕っぷししか能がない自分を、あの少年は…彼は…愛してくれた。
だからこそ彼を、彼を取り巻くもの全てを、この手で守ってみせる。
「今度長期休暇取れたら、顔見に戻ってみようっ」
王都から南西へと伸びる、西の大動脈とも言える道を馬車で進む事3日間。
フィルとエリックは、装備の上からローブを羽織り、旅人を装ってヒューゼルという小さな街に入った。
隣国ジェンダは農業・漁業の盛んな国家であり、その国からの豊富で新鮮な食料を輸入している為、特にこの道沿いにある街は生鮮食品を扱う市場が賑わう場合が多い。
ヒューゼルもそんな街の一つなのだが…。
「これも山賊被害の煽りなんでしょうか…」
エリックがそう思うのも無理は無い。
小さな街とはいえジェンダに繋がる道沿いの街の市場では、人の数が余りに少ない。
市場の露店を見ればなるほど、扱う食材の種類も数も、世辞にも豊富とは言い難い。
ジェンダと交易が盛んな街にしてはあんまりな光景だった。
フィルがそんな露店の通りに、馬車から飛び降りると、店主に話しかけるのだった。
「そんな辛気臭い顔しない!それじゃ出来る商売だって出来ないんじゃない?」
何もこの店主に限った話ではないが、見るからにこの店主の表情が一番暗い。
それを見越しての事だろう。
「何か…買っていってくれ…」
とても商売人の声とは思えない、それこそ幽霊屋敷の方が似合いそうな散々な状態。
「ほぉらお腹から声出しなさい!そうねぇ…コレいくらかしら?」
並んでいたカボチャを一つ手にとってみた。
「3クロン…」
「ブッ!?」
慌てて戻す。
「桁2つおかしくない?ちょっとしたショートソードが手に入る値段じゃない」
フィルが言い終わるより早いか、店主が突然頭を抱えて嘆き始める。
「コレも全部あの盗人どものせいだ…!良い食材全部取り上げちまう上にこの街陣取って無茶苦茶な金の搾取までしやがる!今日何も売れなければもう一家全員首吊るしかねぇ!」
「どうやら事態は思っていたより深刻のようですね」
馬車を止めてきたエリックも店主の嘆きは耳にしていたのだろう。
「なら安心なさい!その盗人をお縄にかけるのが私の仕事だから」
「バカを言うな!駐屯してた兵隊だって敵わなかったほどの相手だぞ!!女子供に何が…!」
激しい反論をする店主だが、不敵な笑みを零すフィルに気圧されてしまう。
「絶望の次には必ず希望が来るわ。覚えておきなさい。そして…」
勢いよくローブを脱ぎ捨て、シュヴァリエ・ド・シャッフルの装備を晒すフィル。
その肩には、あのスペードAのプレートが輝いていた。
「私がこの街に希望を届けてあげる!」
「あぁ…フィルさん」
ローブを着て移動していたのは、万一山賊たちに見つかっても警戒を誘って逃げられないようにするためでもある。
もし警戒して逃げる相手なら街から一先ず追い出す事はできるが、追跡は困難にはなる。
「何と!近衛隊の…!」
その店主だけでなく、周囲で露店を構えていた者達も一斉に沸き立つ。
「ついに陛下が動かれたか!」
「これで助かるぞ!」
喜びの色を含んだどよめきが大きくなり、中にはフィルとエリックに近寄って手を取る者もいる。
「い…良いのかなぁ…」
街に入っていきなり派手な展開になった事で、山賊達がどう出るか心配になってきたエリック。
苦笑しながら人々の歓迎のままに握手され抱きつかれ…といった状態だった。
しかしそれも杞憂だと気付いたのは程なくしてであった。
「ずいぶん賑わってるじゃねぇか…へへ。コイツはもっと取り立てても良さそうだなぁ」
露天商たちとは明らかに違う雰囲気を放つ数人の男が、ちょっとした人だかりになっていたフィルの周囲の人々を見て言い放つ。
怯えと不安の表情が浮かぶ露天商たちの垣根を越え、フィルとエリックが顔を覗かせた。
「そこまでです!蛮行はそこまでにして、投降しなさい!」
エリックが指差して言い放つが、如何せん見た目だけなら15歳の子供。
この山賊達の前に一笑で済まされてしまう。
「…ふぅん…」
フィルが一体何を思ったのか、理解の範疇を超えた反応にエリックはフィルの顔を見上げた。
「エリックくん、私が一人でやるわ。街の人たちをお願いね?」
「え?…は…はい」
軽く生返事になってしまったエリックを他所に、数歩前に躍り出るフィル。
「どうせあなたたち3・4人じゃないんでしょ?このまま仕事終わらせるのも呆気ないし、あなた達のルールで勝負してあげるから全員呼んで来なさい?」
「あァ?」
挑発なのか、しかし相手は女一人。
どうにもそれだけでは迫力に欠く構図だった。
「聞こえなかった?あなた達が手合わせのルールを好きなように作っていいから勝負しましょ?」
「おいおい、近衛隊だからって調子に乗ってんじゃねぇぞ?」
次の瞬間、フィルはいつの間にか目の前にいた。
目を離していた筈が無い。それこそ瞬間移動の如く踏み込み、懐に入られるまで許してしまっていたのだ。
そしてそれだけではない。
「そう?ハンデ無しじゃ、次は薄皮一枚じゃ済まないわよ?」
目の前に現れたフィルの手には、踏み込みと同じく気付かれないうちに振り抜かれている剣が握られていて…。
山賊の一人の鼻の頭に軽い切り傷が刻まれていた。
「っ…!!」
「このクソアマぁ…!」
確かに男達は近衛隊の実力を甘く見ていた。
しかし、それでもまだだった。
「言い出したからには覚悟しろよ…おい!全員連れて来い!!」
フィルはまだいつぞの徴税官をしょっ引いた時の威圧感は見せていない。
ただ屈託の無い顔をみせていたからこそ、その挑発に乗ってしまったのだ。
かくして現れたのは20人からなる山賊集団が現れる。
何事かと現れた住民達の盾になるようにエリックが立ち、そこから距離を置いた位置に山賊団と向き合うようにしてフィルが立っていた。
「一応先にこっちから1つだけルールを提示するわ。勝負の間街の人達には手を出さない事!」
人差し指を立てながら言い放つフィルは、漸く本来の威圧感を覗かせ始める。
それは静かな警告。ルールを破れば全力で屠る…という釘刺し。
それには流石に動揺を見せる者達がいたが、何せそれ以外のルールは好きなように決めていいとの事だ。
自信満々の様子で前に出るリーダー格の男。
「こっちは全員で一気にいかせてもらうぜ…そしてテメェに課すルールは4つ」
「何かしら?」
不敵な笑みを返し山賊の条件に耳を傾ける。
「1つ…その場から一歩も動くなよ」
「おっけーおっけー、次は?」
「2つ…目隠しして応じてもらおうか」
流石にそれには、見守っていた人々も動揺する。
視界を奪われ、その場から動かずに20人相手にするなど無茶が過ぎるのは明白。
更にそこにもう2つの制約が加わるのだ。
「了解ー」
何の臆面もなく、取り出したタオルで目隠しを始めるフィル。
山賊達も呆れるべきか戦慄するべきか、少々反応に困っていた。
「3つ…お前が魔法飛ばしてくるのはナシだ」
「はいはい。で、もう1つは?」
フィルは軽く流したが、この条件は明らかに周囲の動揺を大きくしていた。
その場から動かず、魔法も使わず…ということは、手持ちの武器の間合いの外には手を出せない事になる。
言い換えるなら、相手が間合いに入らなければ防戦一方で嬲り殺しにされる事を意味しているのだ。
「4つ…使っていい武器は、俺達が渡すものだけだ」
フィルの目が見えないだけに、驚いているのかどうなのか判断に困る反応を見せる。
「しょうがないわね…エリックくん、コレお願いね」
持っていた剣を鞘に仕舞うと、そのままエリックのいる方角に放る。
「そ…そんな!いくらフィルさんでも!」
「大丈夫大丈夫!」
そんなフィルの足元に、山賊から支給された武器が転がる。
否、武器として使えと渡されたモノ。
それは枯れた細い木の枝だった。
武器どころか、軽く何かに当たっただけで折れてしまいそうなソレを使えと言う。
実質的に丸腰で戦えと言われているようなものだ。
「フィルさん無茶が過ぎます!」
「無茶って事は無理じゃないって事っ!」
「いや、もう無理の域じゃないですか!」
そこまで言うエリックの心配も尤もではある。
だからこそフィルは、目隠ししたままではあるが振り返り、サムズアップをして見せた。
そして再び山賊団に振り向き、今度はビシッと音がしそうな勢いで天を指す。
「覚えておきなさいっ!絶望と希望は紙一重よ!どんな絶望だって、見方やり方次第でどんな希望にだって塗り替えられるものよ!」
あくまで自信満々のフィルを、リーダーの男は鼻で笑う。
「翼をもがれたアホウドリがよく吠える」
「そう?あなた達こそ、条件はそれだけでいいのね?」
「ああ、塗り替えられるモンなら…塗り替えてみやがれ!」
リーダーの男が手で合図を送ると、山賊の1人が懐から魔法陣が描かれた紙を取り出し、あっという間に特大の火の塊の魔法を放つ。
山なりに飛んでいく火の塊は違える事無くフィルの頭上に降ってくる。
大きさは直径だけで軽くフィルの身長の倍はある、正に特大サイズ。
「フェレントゥス・グラリオ・エル・ハルティーン」
頭上に手を振り上げたフィルは、即座に防御魔法を展開。
そう、魔法を飛ばしてはならないと言われただけで使うなとは言われていない。
しかし防御魔法を使わせるのは計算の上だった。
その場から動けないなら、頭上から降ってくる巨大な火の玉を防ぐ術など防御魔法しかない。
条件上避ける事は叶わないし、あの大きさではフィルとはいえ直撃すれば危うい。
そして、防御魔法と火の塊が接触する瞬間こそが狙い目。
「貰ったァッ!」
山賊の1人がライフルを持ち出し、フィルに狙いを定めて引き金を引き絞った。
しかし、フィルが負傷に顔を歪める事は無かった。
「狙いバレバレよ?」
山賊達はあまりの現象に目を見開いていた。
片手で防御魔法を維持したまま、放たれたライフルの弾丸を指で摘んで止めていたのだ。
魔法に集中力を裂きながら、目隠しをしたまま弾丸を見切るなどという芸当、聞いたことも無い。
山賊のそんな反応は至極当然の事だ。
「何て女だ…っ」
今度は20人全員が一斉に動いた。大きく左右に別れ、360度全方位を取り囲んでしまう。
すると一気にフィルに剣や槍を向けて突撃してくる。
接触のタイミングはほぼ同時。
頭上の火の玉はまだ消えず、防御魔法は維持し続けている。
フィルのシルエットを幾つもの凶器が串刺しにしていく。
フィルの鎧を刃が擦る嫌な鋭い音が響く。
その衣服までも貫く音が聞こえる。
しかし…。
「あーちょっと枝がしなりすぎたわ…こんなにギリギリになるとは思わなかったわ…ねっ!」
大きく身体を回転させ、軒並み周囲を薙ぎ払うように蹴りを繰り出すと、爆風に飛ばされたように頭上の火の玉もろとも山賊達が一斉に吹き飛ばされる。
上空で火の玉が爆発するのと、山賊達が一斉に地面に叩きつけられるのはほぼ同時だった。
見るとフィルは、鎧や衣服が刃で傷付き、手持ちの枝は既に根元から折れてはいるが、その肌に傷1つ付いていない。
「な…なぁボウズ、一体何が起きたんだ?」
一部始終を見ていた露店商の男がエリックに問いかけてきた。
「枝で全ての武器の軌道をずらしたんですよ…あの一瞬で30の相手全てを薙ぐなんて…」
本来は装備がボロボロにされるまでもなく吹き飛ばされていたのだろうが、枝が弱くて薙ぎきれず、紙一重の回避を挟む必要になった。
それでも実力が常軌をあまりに逸している事に違いはない。
それにしても…。
「あ…あの…フィルさん…後で着て来たローブちゃんと着ましょうね…」
真っ赤になって視線を逸らすエリック。
状況が状況の為にわざわざローブを取りに行くわけにいかないが、胸元やプリーツスカートが裂け、少年には目のやり場に困る格好になってしまっている。
「全くよ、早速装備がこの様なんて…責任取ってもらおうかしら」
(い…いや、喧嘩吹っ掛けたアンタの自己責任…)
その場にいた誰もが突っ込みそうになったが、言ったら逆に威圧し返されそうで口を引っ込める。
「ん?…アレ?」
そんなコトを周囲から心の中で突っ込まれていると知らぬ本人は、胸元にしまっていた筈のものが無くなっているのに気付く。
ポケットや鎧の隙間まで探すが、目当ての品は見当たらない。
一方で、漸く起き上がった山賊達の男。
怒り心頭で各々の武器を再び構えなおす。
今度は枝が無い分リーチは一層狭い。
或いは30人全員一度に捌ききれない可能性がある。
そんな腹の内であったが、ふと1人が自分の武器に絡み付いていた何かを目にする。
「あぁ?何だこりゃ…」
絡まっていたのは、細いチェーンが切れたロケット。
それを摘み上げたチェーンの音が偶然耳に入ったのだろう。
突然その男に、野良ドラゴンに睨まれたような威圧感が襲い掛かってきた。
「…それ、私のロケットじゃない?」
今までのどこから楽観的な色を含んだ口調とは違う。
「へっ!アンタのかい?だから返せってェ?」
「…」
急にフィルが押し黙ってしまった。
或いは、フィルが目隠しをしていたのは、今ロケットを持っている山賊の男にとっては幸せだったかもしれない。
「隙ありぃ!」
フィルの背後から剣で一突きにしようと別の男が迫って来る。
しかしその剣を、フィルは振り向きもせず指で摘んで受け止めてしまった。
「…一度だけ警告してあげる…」
やはりその声色に、先ほどまでの雰囲気とは違う鬼気迫るものが静かに含まれていた。
「…カ…エ…セ…!!!」
言うが早いかするが早いか、剣を握っていた指を捻る。
ただ捻ると言っても、その速さや勢いが半端ではない。
男が持っていた剣は螺旋状に捻じ曲がってしまい、男自身の片腕も変に捩れて関節が断裂し、あらぬ方向に向いてしまう。
「ひぎゃあぁぁあああ!!?」
腕が剣ごと捻じ曲がった男の悲鳴など意にも介さず、更に警告を続ける。
「3カウントだけ待ってあげる。…1」
意にも介していなかったその男のもう一方の腕を掴んで引き寄せる。
突然の変容、その尋常でない雰囲気に当てられ、その最初の被害者でもあるその男は狂ったように助けを請い始めた。
「ひぃぃ!?助けて…くれぇ!!おい!早くソイツをこの女に!!」
「…2」
フィルが捻じ曲がった剣の刃で自分の指先に軽く傷を入れると、掴んだ男の腕に自分の血で魔法文字を描き始める。
ロケットを持った男は返さないのではない。
フィルのあまりにも強烈な雰囲気の変容にただ立ち竦んで呆然となっていた。
それが仇となったことは言うまでも無い。
「…3!」
フィルが捻じ曲がった剣を投げ捨てると、男の腕に描かれた血の魔法文字が光り始める。
「…アンタたちから受け取ったモノは武器として使ってもいいのよね…?」
「ヘ?」
掴まれていた男はワケが分からず、奇妙な疑問の声を上げてしまう。
が、突然腕が引っ張られると、魔法文字を中心に全身に電流が走り、身体が硬直してしまう。
「…制刃・ロスヴァイゼル!!」
硬直した男を握り、そのまま大きく回転しながら一閃。
次の瞬間、先ほどの蹴りとは比較にならない規模の空気の爆発が起こり、山賊達が次々に吹き飛ばされてしまう。
吹き飛ばされた男達は、ある者は建物の壁に陥没するほど叩きつけられ、ある者は地面を数十メルタと転がされ、一様に気絶してしまう。
「ひ…ヒィィ!!」
爆風が収まると、フィルが睨んでいたロケットを握ったままの男が血相変えて逃げていく所だった。
今のフィルがそれを逃す筈も無い。
再び握っていた男に電流の激痛が走り、「ひぎぃ!?」と情けない悲鳴が漏れて身体が硬直する。
「翔刃!!オルトリンド!!」
今度は”持っていた男”を大きく突き出す。
その風圧は、逃げていた男の背中を強かに貫く。
その様は最早風圧の砲弾と言っても差し支えない。
風圧の砲弾を食らった男は、そのまま錐揉み状態で大きく吹き飛ばされ気絶する事となった。
「…人の身体を電撃魔法で硬直させて、その”一瞬硬直した人間”を武器に…フィルさん無茶苦茶すぎですよ…」
デタラメな方法で手に入れた”武器”に、急に攻勢に転じた理由に…突っ込み始めればキリが無い。
最早漏らす溜息もないエリック。
王城ミューゲル・ハイツ内のスペード小隊詰め所。
先日の山賊団逮捕の報告を聞き、スペード・キングは頭を抱えていた。
「遊びが過ぎるぞエース」
「あぁ〜やっぱり?でもただ遊んでたワケでもないのよ」
盗賊団全員を誘い出し一網打尽にする策を講じた結果、フィルはあのような無謀なまでの勝負を申し出たという。
キングもそういった面は認めてはいるのだが…。
「淑女の心得というものは欠片にも無いのか…」
強かな面は認めるが、あまりにも無茶をする。
一体どう指摘したものかと思うが、先日10から話を聞いていたコトもあり、そういった突っ込みが漏れる。
「あ…あはハハ…」
「まぁいい…今後はこのような無茶は控えるように」
「はいはい、気をつけるわ」
詰め所を後にしたフィルを出迎えたのは、丁度通り掛かったエリックを含む5・6人の隊員達だった。
「あ、フィルさん!」
「丁度よかった、これから中庭で模擬戦する所なんだが、付き合わないか?」
「今日こそはリューグから一本取ってやるのら!」
思い思いの生き生きした顔を見せる皆の姿に、フィルも今は淑女の心得がどうこうというのを忘れて…。
「いいわよっ! 纏 め て 相 手 し て あ げ る ♪」
清々しい表情で応じる事にした。
余談だが、模擬戦に向かう隊員達の表情が一瞬で凍りついた事を書き添えておこう。