05:振り返る者

本土に降り立ったレクス達は、ジョセフと分かれて首都へと向かっていた。
港から首都までは徒歩で8日ほど、駅馬車で3日掛かる距離がある。
現在は港から3日歩いた位置にいた。
草原が一面に広がる中を緩やかなカーブを描きながら地平線へと続く道を一同歩いていた。
さて、何故徒歩かといえばバラッド姉妹含めた5人が5人、駅馬車にそうそう乗れる金銭的余裕が無かったのが最たる理由だったワケだ。
「首都についたら少しの間仕事探さないとな…」
「全くよ…それより」

レクスのすぐ後ろを歩いていたシスティルが後ろを振り向く。
言わんとしている事が分かるのだろう、レクスは気にした風も無く返した。
「日の入りはまだ早いが…適当な場所見つけてテントでも張るか」
今朝見た地図からして宿場まであと3時間は歩く事になる。
しかし、実の所そう言っていられない原因があった。
「大丈夫…ですよ、あと3時間も歩けば…」
目の下に隈をつくり、何とも危うい足取りの狼がいた。
「「頑張りすぎね…この前から言ってるけど寝る時は寝ないと、効率悪くなるばかりよ」」
ライフがレクス手製教科書を取り上げ、リーフがラティアの背を押していく。
ラティアは船から下りて以来、夢中になって文字通り昼夜を問わずレクスの教科書に齧りついていたのだ。
それが祟ってご覧の通りである。
その様子にレクスも溜息を漏らし、突然街道の脇へと進んでいく。
「先生?」
突然進路を変えたレクスに疑問の声を漏らすラティアだが、レクスから返って来る言葉はない。ただ黙々と草原の中へと入っていくのみ。
そんなレクスの足が、道から外れて10メルタほど進んだ位置で止まり、妖精の一人を呼び出した。
レクスの隣の何も無い場所に突然石の粒のようなものが集まり始め、一瞬で固まるとそれは人の形に削り出した水晶のようになった。
艶やかに撫で下ろしたシルバーブロンドと、足元まで隠れるほど長く装飾が施されたローブを着た男の姿へと変わっていく。
「レクス、弟子の体調にも気をつけてあげないとネェ」
親しみやすそうな笑顔で涼やかに言うのはレクスの妖精の一人、オルバートである。
「分かっているなら仕事だ。5人寝られるだけのスペースがあればいい」
「ハハッ了解」

オルが地面に両手を軽くつくと、目の前の半径5〜6メルタ範囲の雑草が急にその丈を伸ばしていった。
それは人の身長をやや超える程度にまで伸び、その密度を増しながらドーム状にその先端を重ねて瞬く間に草のテントを形成してしまう。
密度を増した壁部分はなかなかしっかりした作りで、入り口から垂れ下がる蔓がちょっとしたカーテンのようになっている。
テント作りを終えたのだろう、オルが立ち上がるとふわりとした足取りでラティア達の元へ歩み寄った。
「頑固な所は師匠似かな…?でも皆の言うとおり、休息する時は休息を取らないとね」
優しく諭すように言うオルの言葉を前に、ラティアはどうにも元気がない様子。
ただ頭では分かっているのだろう、反論はない。
そんな様子を見て、オルは傍らにいたリーフの手を取って何かを手渡した。
「コレを煎じて飲ませてあげるといいねェ」
それだけ言うと、今度は音も無く静かに飛び上がり、梟の姿へ変わって飛んでいく。
リーフは掌を広げ、ライフもそれを覗き込む。
((ベンファールド…なるほど、鎮静作用のあるハーブティーというワケね))


茜色に染まる空は、あと数時間としないうちに夜の訪れを告げる。
ライフとリーフが焚き火を起こし、早速ハーブティーを用意し始めた。
システィルも調達した材料で早速料理を始めた。
西日と焚き火が一同の横顔を赤く染める中、教科書を取り上げられて大人しく横になっていたラティアがゆっくり口を開いた。
「先生、ごめんなさい」
自分の無茶が招いた予定の遅れを、今になって後悔しているのだろう。
「気をつけろよ」
確かにレクスとしては1日も早くフィルを見つけたいという思いもある。
しかし、予定などあって無いようなものだった。今回の予定も、単に港から王都まで掛かる時間の目安でしかない。
そして何より、レクス自身も自分の修行時代を思い出していた。
「同じような事は俺も何度か経験している。それより…」
いつの間にかレクスの視線がラティアに向いていた。
相変わらずこういう時のレクスの表情から、何を考えているのかどうも読めない。
レクスの後ろには、お茶と夕食の用意ができたシスティル達の姿があった。
「そこまでお前が入れ込む目標の人物とはどんな人物なのか、もう少し聞いてみたい」
その質問に一瞬視線を泳がせたラティアだが、起き上がって視線を返す。
そして意を決したように口を開いた。


山間の岩肌にしがみつくようにして家を連ねた集落があった。
その集落の住人は皆、尖った耳と大きな毛深い尻尾を持つ半狼の種族…ワーウルフである。
木の柱や梁の間に枝のを組み、土で枝の隙間を埋めた簡素な家々。
使う道具はいずれも木や石を削りだした原始的なもの。
彼等の生活用品はそれが殆どだった。
魔法を必要とせず、大きな街から離れた集落は様式の違いこそあれ大体同じような生活ぶりである。
魔法を必要としない種族は、いずれも人間より二回りもその上も身体能力に優れ、必要な道具は遠出してきた者が調達した品を使い回すのが当たり前になっていたのだ。
畑を耕し、近くの森や山に狩猟に出かける。食料の調達もそれが当然であった。
そしてそういった生活様式はワーウルフとて例外ではない。
このラティアが生まれ育った集落、ベルダンテールも。
「コホッ…お母さん、お水欲しい」
奥の部屋から顔を覗かせたのは、6・7歳になる頃のラティアであった。
狩猟で得た毛皮のローブを寝巻きにし、おぼつかない足取を弱々しく手で壁を伝って支え、土間にいる母を尋ねた。
母は娘が出てきたのに少し慌てた風であった。
「大丈夫!?今お水持っていってあげるから…!」
木製のコップに雨水を貯めた水瓶から水を注いで、娘を伴い部屋へと送っていく。
当時のラティアは肺を患っており、運動はおろか家の中を歩くにも息が上がる状態。
頻繁に高熱を発しており、狩猟を生業とする種族とは程遠い生活を送っていた。
何気なく眺める窓の外が、彼女の知る世界の全てであった。
同年代の幼いワーウルフ達も、既にその年頃からそれぞれの父の後ろに着いて回り、狩猟の何たるかを覚える。
そうでなければ外で取っ組み合いをして遊んでいる。
幼い身空では想像もしていないが、それが基礎体力に結びついたり、狩りの勘を養ったりもする。
それが彼女には純粋に羨ましかった。

そんなある日であった。
満月の淡い光が窓枠の形に部屋の床を照らす夜の事である。
真夜中といえど、唐突に熱にうなされる事も度々あったが、この満月の夜もそんな度々に当てはまる日であった。
あまりの寝苦しさと荒い息に目が覚め、楽な姿勢を求めて寝返りを打つ。
そこで初めて気がついた。
部屋の奥…月明かりを挟んで反対側に、うっすらと誰かの影が見えた。
ラティアがその影に抱いたのは興味と恐怖だった。
その影は両親のものとは明らかに違う雰囲気を持ち、足元まで届くローブを着こなしている。
興味と恐怖は声を出す事を忘れさせているうちに、その影がゆっくり近づいて来る。
月明かりでローブが青白く輝くが、そのローブの色はおおよそ黒に近い。
背格好は2・30ほどの男のものだろう。
その割にほっそりとした手が伸びてきて、ラティアの額に触れた。
ラティアの記憶はそこで途切れる事となった。

それ以来、彼は姿を見せる事はなかった。尤も姿を見る事はなかっただけである。
昼は気配一つ感じはしなかたが、夜中は彼が時折話しかけてきた。
今まで娯楽の一つ触れる余裕もなかったラティアにとって、夜の彼との会話は他愛なくとも十分楽しかった。
そしてもう一つの変化に気付く。
他愛ない会話とはいえ楽しむ余裕ができ、家の中程度なら不自由なく歩き回れる程に回復していたのだ。
ラティアの両親は、娘の急な回復に驚き、また不思議に思いながらも喜んだのも自然な事だった。
あとは徐々に体力をつけていけば、人並みのワーウルフとしての生活に支障は出ないだろう。
しかし両親は彼の存在を知らない。彼との約束だったのだ。
”決して誰にも話してはいけない”
律儀に守り続けた約束…そしてその約束の為に吐いた嘘は遂にバレる事はない、最初で最後の親に対する嘘であった。


「「ベルダンテール…12・3年ほど前に山崩れで崩壊した集落ね」」
そう、ラティアの集落はあれから程なくして不幸の災害によって崩壊したのだ。
「山崩れじゃないんです…」
聞いていた誰もが顔を上げた。
「何があったの…?」


その日は月が不気味なほど赤い夜だった。
この世界ではマナの研究が進んでいる関係上、月の変化についての研究はそこそこ進んでおり、ワーウルフ達は体感的にも知識的にも熟知していた。
だからこそ不気味なのである。
月が赤く染まるのには2つのパターンがある。
地平線に近い月と、月食に際した月。
ところがこの月は天高く、また周期から見ても月食に入る時期ではない。
なのに血のように赤黒く、一帯に立ち込めるセレネス・マナもひどく澱んでいた。
誰もが気味が悪いと月を見上げる中、ベルダンテールの住人の誰もが目を見開いた。
月を覆う大きな影が現れたのである。
それは雲より形がはっきりしており、しかしその大きさは雲とでも例えなければ説明がつかないほど巨大だった。
背後にそびえる山から、大樹と言っても足りない程の巨大な幹が伸び、そこから5つの太い枝が伸びている。
それは正に腕の形だった。
しかしあまりにも常識外れすぎる大きさに、手と思うのに数秒を要する程である。
村の誰もが混乱した。それは窓から外を見ていたラティアも一緒だった。
巨大な手は姿を現したのみならず、その表皮がドロリと溶けると次々に集落に腐った大粒の雫を垂らしていく。
地面に落ちた雫は地面に染み入る事なく形を変え、人間の上半身だけを象った腐ったスライムへと姿を変える。
両腕を広げれば10メルタはあるような化け物が次々に生まれ、逃げ惑うワーウルフ達を捕らえ捕食していく。
「な…何…あれ!?」
「ラティア!!」

両親が鬼気迫る顔で部屋に駆け込んでくる。両親もこの事態の分からぬ惨状を目にしたのだろう。
既に家の周りはこの化け物に取り囲まれ、逃げ場はない。
遂には化け物に発見され、窓枠を難なく引き裂いて入ってくる。
ソレを見たラティアの父は、自らの爪を鋭く伸ばして斬りかかる。
抵抗を試み、捕食されていった同族達と大差ない抵抗だが、黙って食われるほど大人しい種族ではない。
しかしその抵抗も、父の断末魔と取り込む際の異様な泡立ち音の前に、どれほど無力な事だったか…肉親の犠牲という対価を払って思い知らされる羽目になった。
「ラティア!逃げなさい!!」
逃げる場所などない…それは分かりきっていたが、そう叫んで娘を逃がす時間を稼ぐ以外、母は思いつかなかった。
ラティアは震え上がり、足が言う事を聞かず、部屋の隅でガタガタと震えるしかなかった。
恐怖で竦んで強く目を閉じ、代わりに耳に届いてきたのは母の断末魔の叫び声。
そして愈々ラティアの番。そう言いたげに寄ってくる化け物。
だがその魔手はラティアに届くことはなかった。
恐る恐る目を開いた時には丁度、化け物が只の腐った泥のようになって崩れ落ちる瞬間だった。
そしてその背後に立つのは、いつぞ突然ラティアの前に現れ、以来毎晩のように語り明かした彼だった。
ローブの上からでも肩が震えているのが分かる。
「怪我はないね…?」
彼は地上を我が物顔で闊歩する怪物には目もくれず、上空に現れた巨大な手を睨みつけていた。
「何でアイツが出てくるんだ…!」
静かな怒気を孕んだ声を絞り出し、身長の半分ほどの長さの杖を懐から引き抜く。
次の瞬間、泥の怪物達がその体を異様なまでに伸ばし、無数の弧を描いて彼に群がっていく。
しかし彼は杖を一振り。
その一振りで強烈な風が駆け抜け、怪物達を往なしてしまった。
そしてその身を宙に踊り出させ、彼の杖の石が太陽の如く眩く輝き始めた。
ラティアも驚いて目を伏せた。
その光はほんの数秒の間であった。
恐る恐るラティアが目を開くと、彼がいたそこには20メルタ近い巨人の姿があった。
肩から全身を覆うほどの大きなマントにつばの大きなとんがり帽子。その手には身長に匹敵するほどの長大な杖。
そのシルエットはヴァンレクスに非常に似ている。
長大な杖を振り回せば、彼の周りには自身の体の大きさにも匹敵する巨大な炎の矢が無数に形成されていく。
その炎の矢を放った瞬間に巻き起こる、彼の巨人出現の時より遥かに強烈な光。
そして、当時5歳のラティアの体を跳ね飛ばすほどの衝撃波。
ラティアの意識までも吹き飛んだのは、正にその直後だった。


レクス、システィル、ライフ、リーフ…皆その話に聞き入っていた。
ラティアはハーブティーをちびちびと啜りながら、付け加えた。
「お父さんお母さんが居なくなって、すごく辛かったけど…山の猛獣に襲われかけたり色々あって落ち込む暇もなくて、人里に紛れ込んで生活してたんです。そして…」
「「その助けてくれた魔術師の面影を追うようになった…と」」

結論を言う双子の言葉に、ラティアはゆっくり頷いた。
言葉で淡々と並べるだけなら簡単だが、果たしてその裏にどれほどの心労があった事か。
殆ど外の世界に出る事の無かった少女が、望むと望まざるとに関わらず、外の世界に放り出された背景が潜んでいる。
様々な処世術を身につけるのにどれほどの苦労を味わった事か。
そんなラティアの心の支えとなったその魔術師が、彼女にとって如何程の存在なのか…。
「「その魔術師、何か特徴知らない?」」
そんなラティアを顧みた時、双子の口から自然とその言葉が漏れていた。
「実は、顔を見た事は一度もないんです。姿を見たのは初めて会った日と、あの事件の時だけで…名前がディレアさんだとしか…」
「「そう…」」


夕の茜空も紺色に塗り潰され暫くの時間が経つ。
テントの中は律儀に小部屋が間仕切りされており、レクスはそこで横になっていた。
自分の身一つ横にすればほぼいっぱいになるような小部屋で、間仕切りの向こうからは恐らく4人分だろう安らかな寝息が奏でられている。
レクスはどうにも気に掛かる事があり寝付く事ができず、草薮で編みこまれた天井を眺めていた。
ふと妖精2体が自ら実体化する。
一体はレクスの枕元に、丈40ゼネルほどのフクロウ姿。もう一体はレクスに覆い被さるようにして人の姿を取って現れる。
フクロウはオルバート。人間型はラルバートであった。
「なぁに考え事してるのぉ?」
ラルは指先でレクスの鼻先を突付きながら話しかけてくる。
煽情的に問いかけるがレクスは全く気に掛けた風も無く静かに答えた。
「ラティアの言っていたディレアについてな…」
「うーん、やはり彼方も気にしてましたかぁ」

飄々とした物言いだが、その裏にどこか真剣なものを宿した物言いで傍らのフクロウ、オルも答えた。
「怪我の治療ならシスティルもやっている通り、そういう魔法も存在する。毒や異物が明確な場合、それを抑えたり取り除いたりする魔法も確認されている。だが病を治す魔法は存在しない」
「それに夜しか現れない…やはり気になるねぇ」

瞼を閉じて回顧するオル。フクロウの容姿のソレと相まって妙な貫禄がある。
そんなオルを他所に、まるで手持ち無沙汰な手を遊ばせているようにレクスの頬や顎を指でなぞり、胸板をよじ登ってくるラル。
「二人とも言いたい事はっきり言いなさいよ…要するに彼って魔族なんでしょ?じゃないと説明つかないもの」
言いながら遂にはレクスに唇を重ねようと迫ってくるラル。
だが寸前の所でレクスのチョップが横から炸裂。
ラルの頭はスプラッター映像を撒き散らすことになった。但しただの水飛沫で…ではあるが。
すぐに頭を再構築したラルが文句をつけて来た。
「もぉ〜…もっと女の子には優しくしなさいよぉ」
「アホか」

呆れ声で即答するレクス。更にオルが続けた。
「それに、案外監視の目は厳しそうだねぇ」
オルが間仕切りに首を向けると、レクスとラルもつられて振り向いた。
暖簾のように草の間仕切りの間に覗きの隙間が掻き分けられていたが、レクスが向いた瞬間引っ込む。
あの泣き腫らしたような赤い瞳は見間違えようもない、システィルのものだ。
レクスは溜息を漏らさずには居られなかった。
隣の広い部屋では4人が川(?)の字になって寝ている。
他の3人は静かな寝息を立てている中、システィルは行き場の無い不快感を押し殺す様に毛布を頭までかぶる。
「バカ…っ!」

レクスの部屋では、いい加減ラルの悪戯に呆れ果て、二人には再び姿を消すよう言った。
いずれにせよ、実際に確かめてみないと分からない。
この前まで続いた謎の襲撃はないのも気になる。
サーロッドから離れたことに気付いていないのだろうか?
とりあえず今日は一先ず寝ることにしよう、と瞼を閉じる。
しかしその瞼は数秒で再び開かれることになった。
手を地面についたまま上半身を起こし、ゆっくり入り口へと近づく。
傍らに置いていた剣を取って…である。
「「レクス」」
静かに声を掛けるのは、何時の間にか起きた双子である。
毛布から顔を出したシスティルも異変に気付いたのだろう。不安げに見ていた。
そうしているうちに異変はどんどん大きくなる。
短い地震が断続的に続いている。否地響きだろうか。一定の間隔を置いて短く地面が揺すられている。
しかもその揺れは徐々に大きくなっているのだ。
「下手に動くな…」
双子は息を殺して身を伏せる。伏せてはいるが、何かあればすぐ飛び出せる姿勢である。
システィルも起き上がろうとはするが、いつの間にか服を掴まれているのに気がついた。
唯一寝ているラティアがシスティルにしがみつくようにして離れないのだ。
「ぅう…ン…お母さん…揺れてるぅ」
緊張した空気の中で妙に場違いな寝言が聞こえた気がする。
そうしているうちに大きくなってきた揺れの震源が近くで止まった。
「っだぁ!仕事はなかなか見つからねぇし今日も散々だぜ…」
外から3・40代ほどの野太い男の声が聞こえた。それも随分高い位置から聞こえる。
それで漸くレクスは納得した。
外に居るのは巨人族の男である。
あの揺れは彼の足音なのだ。
そして一際大きな揺れが辺りを襲う。
恐らく腰を下ろしたのだろう。
「草の束か…丁度いいや、焚き火用に失敬するぜ」
4人が4人ぎょっとした。
すかさずレクスが飛び出す。
「悪いが俺が作ったテントだ。蒸し焼きにされるワケには行かないな」
流石に剣は抜いてはいないが、巨人の男に声を張り上げて言い放った。
「うおっ!中に人が居たのかよ、アブネェ」
「危ないのはこっちだ…」

盛大な溜息をつき、改めて巨人の男を見上げた。
身長は立てば20メルタにはなるだろう、巨人の中でも長身の方になる体躯。
巨人族の男の特徴として、人間の体のバランスと比較して足が短く肩幅が広い。
腕はそんな短い足の膝に届きそうなほど長く、長さに全く引けを取らない厚い筋肉に包まれている。
ジャイアント族の男は8歳から髭が伸び始めるが、彼も例に漏れず揉み上げから繋がる髭を短く蓄えており、おそらく年齢以上に年を重ねて見える。
彼の腰の後ろには、自身の胴体にも匹敵する大きさの頭部を持つハンマーが置かれている。
恐らく彼の所有する道具なのだろう。
「だっはっはっ!!心配すんなぃ!テントと分かりゃ火ぃ点けやしねぇよ」
独特のべらんべぇ口調で、胡坐をかいた自身の膝をパンパンと叩く。
レクスも小さく溜息は漏らすものの、彼に悪意の欠片もない事を悟ると剣を取り、短く呪文を唱える。
見渡す限りの雑草が生える草原である。巨人族とはいえ焚き火に不自由ない程度の燃料になる雑草は瞬く間に集まった。
「オウ旦那、気前いいな」
「レクス・アルベイルだ」
「俺ぁ見ての通りの巨人族、土木業やってるバジル・クレマンだ」

火打石で雑草の山に火をつけながらバジルは名乗った。
どうやら危機は去ったようだと、テントの中にいた女性陣が出てきた。
ラティアも漸く目が覚めたようで、システィルの後ろからついてきた。

夜も遅かった事もあり、一同とも会話もそこそこに再び寝床につくことになった。
バジルもまた仕事探しに王都に向かっていると言う。
昨今の巨人暴動事件で巨人族の信用はすっかり失墜し、彼等は職を探すだけでも大変な思いをしていた。
勿論本物の巨人族が起こした事件ではない濡れ衣なのだから堪ったものではない。
バジルは犯人が分からない以上は、仕事で誠意を見せて信用回復に努めているのだという。
「やれやれ…世の中理不尽なものだ」


翌朝、テントにしていた草を処分して早々に朝食を取り、出発することとなった。
深夜のバジル登場の騒ぎで余り寝られなかったのか、未だに寝惚け顔である。
その辺りの事情に軽く触れた途端、バジルが5人を肩に担いで運ぶと言い出したのだ。
元々肩幅が広く巨大な体躯を持つバジルの肩に、左右分かれてとはいえ4人腰を掛ける分には不自由なかった。
ちなみにラティアだけはバジルの掌の上で毛布に包まって眠っている。
「落ちたら大変ねコレ…」
悠々とした足取りで歩くバジルの肩から見下ろす地面は思ったより遠く、システィルは思わずレクスの服の裾を掴んでいた。
「ああ、そう言えばお前木登り苦手だったな」
「な、何よ…木登りとあまり関係ないじゃない」
「ああそうかい」

システィルが手を引っ込めると、レクスも興味失せたように視線を外す。
そんなやりとりがすぐ顔の横で繰り広げられているのを見て、「若いやつぁいいねぇ〜」等とバジルは漏らした。
さて、反対側の肩では双子の姉妹は真理学の研究資料とにらめっこしていた。
そうしているうちに、右手でページを捲っていた方…リーフが口を開いた。
「ライフ、エンデリウムの組成粒子式覚えてる?」
二人とも視線を外す事はない。
「…不覚ね、忘れたわ…確か高等部の教科書にならあったと思うけど…」
二人に妙な間が生まれる。
その間を振り切るように、麻袋から高等部の頃の教科書を取った。
教科書を取り出した途端、二人の顔が険しいものに変わる。
その表紙には黒や赤や緑等のインクが汚く撒き散らされ、デタラメな線で塗りつぶされ、余白に罵倒雑言が書き殴られている。
険しい表情のまま開いていくと、中も似たようなものであった。
「リーフ…」
「大丈夫、ただちょっと汚れが酷いだけの参考資料だもの」
「そうね…」

表情こそ崩さないものの、膝の上で拳を強く握り締めるライフ。
そしてリーフのページを捲る手が止まった。
求めた情報が載っているページが乱雑に破り取られているのだ。
本を握るリーフの手が微かに震え始めているのを、ライフは見逃していない。
すぐさまそれを取り上げると、袋の中に放り込んだ。
「ダメね…学校の教科書如きじゃ役に立たないわ…」
すぐにライフは自分の袋から資料を漁り始める。
チラリと覗いた彼女の麻袋の中に眠る”参考資料”もまた、同じような惨状だった。
一瞬手が止まって険しい顔になるが、それも一瞬の事であった。


体躯が巨大だけあり、バジルの徒歩の速さは馬車程度の速さがあった。
その為恐らく今晩宿泊するであろう予定だった小さな宿場町に辿り着いたのは昼の事だった。
だからこそ、その町の先で起きている異常に早く気付いた。
宿場町からバジルでも歩いて5分ほどの位置で、道端で通行人だろう人々が立ち往生していた。
渓谷を切り開いてできた道なのだが、派手な崖崩れがあったのだろう、巨大な石や泥で道がすっぽり埋まっていたのだ。
「「これは大変な事になったわね」」
他人事のように呟く双子だが、その横にある巨大な顔…バジルはそうではなかった。
道が埋まっていたのに気付くと、ニヤリとほくそ笑む。
「レクス達ぁちと降りといてくれるか?」
両肩に手を伸ばして5人を地上に下ろすと、立ち往生している人々の前に進み出た。
「こういうのは俺達巨人族の分野だ。全員距離取りな…っ」
巨人の登場に畏怖に近い驚きの声を上げる者もいたが、皆散り散りに土砂から離れていく。
するとバジルは上に積もっている小石や泥を軽く払い、一番大きな岩を両手を広げて掴み掛かる。
全長はそれこそバジルの身長に匹敵する巨大な岩だが、何とその巨大な岩も「ふんっ」と掛け声一つで持ち上げてしまう。
その岩を近くの少し開けた崖の隙間にゆっくりと下ろす。
隙間に詰まっていた土砂が再び道を塞ごうと崩れてくるが、最も大きな原因が取り除かれ、大した量ではない。
あれほどの巨岩を動かすとなればそこそこの腕の魔術師か、或いは今のように巨人族の怪力の助けを借りるしかない。
最初は恐怖していた者もいた通行人だが、バジルの活躍に皆双手を上げて歓声を上げた。
こうなればバジルも調子に乗るもので、もう一仕事…と土木職としての目を光らせ始めた。
「っはぁー…こういうのは崖の岩が崩れて来たタイプだな。どこが崩れたんだ?」
少しの間崖を眺めていたバジルだが、突然その表情に疑問の色が浮かぶ。
「ンン?この岩この崖のモノじゃねぇな」
「恐らくはミノタウロスの仕業じゃろうて」

バジルの疑問に答えたのは一人の老人だった。
荷物らしい荷物を持っていない所から見ると、どうも近くの宿場町の住人のようである。
「何かあったんですか?」
振り返る面々の中からシスティルが問い返した。
「いや実はな、一ヶ月ほど前から近くにミノタウロスの盗賊団が住み着いて、食料を強奪する事件が頻発しておっての…」
「子牛どもがか?」

皆空いた口が塞がらなかった。
ミノタウロスは人間に近い知性を持ち、力が強く非常に気性が荒い半牛人として有名で、その体躯は全長3メルタにも及ぶ。
尤も20メルタにもなるバジルから見れば、確かに十分子牛とも言えよう大きさかと、何人かは納得した。
「傭兵を雇っても尽く返り討ち…食料を隠せば嫌がらせが絶えぬ…この崖崩れもその一環じゃろうて」
「じゃあ、そのミノタウロスの盗賊団を追っ払えば、この嫌がらせは無くなるんだな?」

腰の大きなハンマーを肩に担ぎ上げながら、得意げにバジルが言い放つ。
こうなってしまえばもう二つ返事で引き受けてしまうのは、彼の良い所か悪い所か。
しかし疑問を浮かべる者達が3人。
「「レクスも気付いた?」」
「ああ、如何にミノタウロスは力が強いとはいえ、直径20メルタの岩を持ち上げるなんて芸当は不可能に近い」
「「何かあるわね」」
「何を話してるの?」

レクスとライフ・リーフが話してるのが目に入ったシスティルが割って入る。
「何でもない」
相変わらず軽くあしらうレクスの態度に、システィルはジト目で明らかに不機嫌な態度を示すのだった。


ミノタウロスの盗賊団はいつも西の外れからやってくる。
住民達の証言の下、すっかり通りすがりの勇者気分のバジルを筆頭にミノタウロス退治という事になった。
妙な違和感を抱くレクスも一応後に続く事になり、万一の事態に備えシスティルも同行。
レクスの提案で、見学の名目でラティアも付いて行く事になった。
西の外れに入っていくと生い茂る森の中である。
高さ5メルタ前後の木々が鬱蒼と茂る中を進む羽目となった。
「ライフさんとリーフさんは?」
レクスの後ろを歩くシスティルが問いかけて来た。
「ゴーレムのチェックやら検証やらで、宿で待ってるそうだ」
「ゴーレムなんて何時の間に…」
「何でも”持ち歩いてる”そうだ…まぁどうやって持ち歩いてるのかは知らんが」

通常、ゴーレムは小さいものでも5メルタにはなるという。
それ以上はあまりに制御し難く、それ以上の小型化は現時点では不可能なのだ。
そんな巨体がどこにあったのか、ラティアの疑問も尤もであった。
「なぁに、ゴーレムなんざ使わなくても俺が蹴散らしてやらぁ!」
バジルが意気揚々に腕を振り上げる。
果たしてその啖呵を聞いてかどうかは分からないが、数百メルタ先の地面が突然爆発でも起こしたように土を巻き上げた。
「へっ!早速来やがるか?」
爆発の土煙の中から悠然と出てきたのは半牛人ではなく野牛であった。
しかし大きさが半端ではない。高さだけで40メルタはあろう破格サイズの野牛なのだ。
高々3メルタ程度の相手と高を括っていたバジルは目が点になり呆気にとられていた。
それにワンテンポ遅れてレクス達の傍の茂みが大きく揺れる。
「な…何?」
不安げな声を漏らすシスティルだが、一行が見たのは手ひどい傷を負ったミノタウロスの男であった。
息も絶え絶えに漸く「助けてくれ」と一声搾り出すのがやっとの状態のようだ。
そのミノタウロスを見てレクスはシスティルの背を軽く叩く。
言わんとしている事はシスティルにも分かった。
すぐさま手負いのミノタウロスに回復魔法を掛けていく。
「コイツぁ…軽く見てたが随分歯応えありそうじゃねぇか…!」
見上げれば、バジルは自身の巨大なハンマーを構えて臨戦態勢だ。
漸く傷も塞がってきたミノタウロスが口を開いた。
「あのバカ…変な魔法唱えた途端ああなっちまいやがった…っ!」
「端的すぎだ、もっと詳しく話せ」

一瞬話すべきか否か考えたが、頭を振って振り切り語り始めた。
「あーもういいや!あのバカ変わったやつだよ。”これからは俺達も少しは魔法扱えるようになるべきだ”って言って手の空いてる時にゃ”戦利品”の中にたまに混じってる魔法書読み漁るやつだ…。それでこの前”この魔法使えば巨人族の野郎にだって遅れを取らねぇ”って言って…」
「それで…唱えたのが巨人魔法だった…と」
「”戦利品”か…盗賊の割りに勉強熱心なやつが居たモンだ」

ラティアの補足はレクスも十分想像はつき、呆れ返った。
頭がいいのか悪いのか全く理解できない。盗賊仲間に変わり者呼ばわりされるのも無理はないか。
そうしているうちに、ついに巨大な牛がバジルに向かって突撃してくる。
その迫力たるや、バジルから見ても壮絶の一言だ。
人間ならば丁度、怒り狂った大きな象が突進してくるようなものだろうか。
長い鼻の代わりに硬い角を振りかざして来るのだから一層凄まじい。
「はっ!負けるかよぉぉ!!」
対するバジルも腰を低くし、特大ハンマーを振りかし、そのまま豪快に薙ぎ払う。
「ダメだ、遅い」
レクスの読み通り、振り払うタイミングが一瞬遅れたのがマズかった。
ハンマーはその頭の端が角を掠めただけで、バジルはその体当たりをモロに腹で受け止めてしまう。
掠めた角はそれだけで根元から消し飛び、もう片方の角は幸いバジルの脇の横に反れて串刺しは免れたものの、ハンマーはバジルの手から振り解かれて宙を舞う。
「!?」
ハンマーは深く地面に減り込むと同時に特大の地響きを起こし、ラティアとシスティルを転倒させ、レクスさえも伏せなければならないほどの揺れを起こした。
バジルはといえば、腹に巨大牛の頭を減り込ませたまま、突進の勢いで100メルタほど地面を引き摺られる事となった。
「っつ…!やってくれンじゃねぇか牛っコロがよぉ!!」
頭を振り上げ、再びその角を突き立てようとする巨大牛だが、その角が掴まれてしまう。
「どおおおおおおおりゃあああああああああ!!」
額や腕に幾つも血管が浮き上がるほどに踏ん張り、一体どれほどの重量があるかも想像つかない巨大牛を持ち上げてしまう。
如何に腕力に恵まれた巨人族とはいえ、40メルタを超える怪物を持ち上げるなどと言う芸当を可能にする巨人はそうそう居ない。
ラティアやシスティルはもう空の上の異変を眺めるように目を丸め、レクスも呆れ返る他なかった。
「ぶっっ飛べやあああああああ!!!」
頭上で暴れられれば流石に揺さぶられはするもののそこまで。バジルが軽く重心をずらし、両手で角を掴み、ハンマー投げの要領で遠心力を付けながら思い切り投げ飛ばす。
残った角も割れながら、再び数百メルタの距離を飛んでいく。
再び辺りに大地震を巻き起こしたのは言うまでも無い。
レクスは気を取り直すと剣を引き抜き、巨人魔法を唱える。
「盗賊、アイツが巨大化する魔法使ってどれくらい経つ?」
振り返る事無く、後ろにいる癒えたばかりのミノタウロスに言い放った。
「2日前の事だ…」
「2日か…手遅れだな…」
「え…?」

レクスが言い放った言葉の意味を、ラティアは直感的に悟った。
「あの牛さん、もう戻れないんですか?」
「ああ。マナドレイン魔法では不可能だろうな」

レクスはそのまま飛び出し、バジルの横に並ぶ。
「あの牛、何とかなるか?」
「力比べなら何とかだが、突進力が半端ねぇな…せめてハンマー拾う隙があれば」

起き上がる巨大牛の後方にバジルのハンマーが見える。正直あれを取りに行くのは至難の業だ。
バジルは当たり前のように振り回していたが、落下の衝撃であの大揺れなら、レクスが取りに行って持ち上げられる重量ではない。
その上レクスでは持ち上げられない理由がもう一つあった。
そしてソレに気付いているのもレクスのみである。
使った解決方法も…。
「ソレなんだが…もう一度あいつを投げ飛ばして欲しい。できればあのハンマーの方角に」
「おいおい…何か考えがあるのかよ」
「考えじゃない。確信だ」

自信満々に言い放つレクスに何か感じたのか、バジルも口の端を持ち上げる。
「へっ!乗ったぜぇ!!」
鼻息を荒げて再び巨大牛が突撃して来る。
相変わらず凄まじい迫力だが、バジルもなかなか肝の据わったもので怖じける様子一つない。
「突撃しか能がねぇうちは俺に挑むにゃ100年早ええええええっ!!!」
その体躯で牛に体当たりして掴み掛かる。
流石に体格や体重で劣る分、どうしてもバジルは押し負けるが、一度胴体の下に手を潜らせてしまえばそこからが彼の勝負である。
「牛なら・・・っ!牧場でええっ!!乳搾りでもされてやがれええええええ!!!」
頭の太い血管が切れそうな勢いで力を込め、再びその巨体を持ち上げていく。
暴れる牛の蹄が肩や胸に食い込み痣や傷を刻んでいくが、バジルはそんな事気にした風もなく思い切り投げ飛ばす。
全高40メルタ、全長80メルタはあろうかという巨体が宙を舞う日を、まさか1日に2回も拝めるなどそうそう無い。
そして宙に舞う瞬間を待っていたレクスが動いた。
剣に魔法文字が浮かび上がり、大きく剣を振る事で生じる風が、鋼を纏った緑色の巨大な狼を呼び出す。
「レンバート!!」
鋼の狼…レンバートが大地を蹴り、宙を舞う巨大な牛に噛み付いていく。
すると牙がその厚い皮に食い込む直前、レンバートは風に溶け込み、巨大な牛を包み込んで吹き飛ぶ軌道を曲げ始めた。
軌道を変えながら落下していく牛。
その先にあるのは、あのバジルのハンマーだった。
一体今日何度目になるか、また起こるであろう地震に、ラティアとシスティルは姿勢を低くして身構える。
しかしその衝撃は来る事はなかった。
巨大牛の体はハンマーに接触した瞬間、その体躯が接触した箇所から散霧していくのである。
「うおっ!?牛が消えた!!?」
自分の道具で起きた変化に、流石のバジルも大層驚いていた。
厳密には、巨人魔法を唱えたミノタウロスの男が元に戻り、ハンマーの上で大の字になっているのだが。
しかし確信を持っていたレクスの反応は違う。
「マルキニウム製…しかもあれほどの早さでマナを消すとは、随分な密度だな」
「何だそのマルキ何とかってぇのは」
「マナを消す特性を持った鉱物だ。対魔法武具への使用を検討された事はあるが、その比重の重さで無用の長物と化したモノ」

巨人魔法を解いたレクスはそのままバジルの足元で元のサイズに縮んでいく。
レクスが元に戻ると同時か、ラティアとシスティルが駆け寄ってきた。
「先生!あのハンマー一体何なんですか!?」
今話した内容を再び問い直され、レクスは溜息を漏らした。
「バジルさん座って。怪我治さないと」
「オウ!頼むぜぇ」

システィルの魔法の光が輝く中、茂みの向こうでは先ほどのミノタウロスがたじろいていた。
「冗談じゃねぇ!怪物になった仲間でも敵わねぇ奴とこれ以上一緒に居られネェよ!」
そのままミノタウロスは、何処へとも無く去っていくのだった。
さて、もう一人…当の巨人化していた方のミノタウロスはといえば…。
「先生…この牛さん…」
「…」

ハンマーの上から下ろされ、大の字になって眠っている。
媒体なしで巨人の体になった時間の代償は大きかった。自我は完全に無くなり、屍と化していたのだ。
「ったく…仲間も見捨てていきやがったみてぇだし…後味悪いな」
言葉もなく皆が沈黙する。
時間にして数秒だが、その数秒が長かった。
「私達で、せめてお墓作りましょう」
皆の視線がラティアに集まった。
その視線に、続く返答に、反対の意を込める者はいなかった。


さて、そんな騒ぎが起きているとは露知らずなライフとリーフは、それぞれの作業を行っていた。
「じゃあ、私はゴーレムを再調整してくるわ」
「ええ」

ライフは立ち上がり、宿の庭先へと出て行く。
リーフはそのまま机の前に残り、傍らに膨大な資料が整然と並べられたまま、実験機材と格闘を続ける。
多くの試験管やフラスコが並び、そのうち幾つかはアルコールランプの火に晒している。
静かに薬品が泡立ち、抽出された液体をビーカーの中の深緑色に輝く石へと垂らしていく。
石は虹色の光を放ち始めるが、数秒としないうちにヒビが入って砕けてしまう。
「コレもダメ…」
小さく溜息を漏らすと、傍らの書類の中にあったメモ書きの中の項目の一つにバツ印をつける。

庭に出たライフは、腰に下げていたポーチから、日の光を白く照り返す、手の平に収まるサイズの塊を取り出した。
金の装飾のようなラインが走り、青い宝石が中央に埋め込まれたソレを目の前にかざし、特に感情の篭っていない小声で唱える。
「サモンゴーレム」
青い石から光の塊が飛び出し、その光の塊が徐々に大きさを増していく。
その光が晴れたそこには、幾つもの岩の塊が連なった人型のものが横たわっていた。
全長17メルタほどのゴーレムだ。
所々大きな隙間が空けられており、そこから入り込んで調整を始める。
二人の作業は何かの記憶を押し殺すように無理矢理夢中になっているようでもあった。
だからこそその声は聞こえたのかもしれない。
─忘れたくても忘れられないんだろう?─
不意に聞こえた声にライフの手が止まり、辺りを見回す。
しかし人の姿も気配もない。
「誰?」
─ボクかい?シェイルとでも呼んでおくれ─
声は部屋で合成を行っていたリーフの耳にも届いていた。
─君の心に共感したしがない妖精、ゼルと言われているよ─
「シェイル…?」
「ゼル…?」

──魔法が使えない…たったソレだけなのに、誰も君を認めてくれなかった無念…──
彼等の言葉を前に、ライフとリーフは心の奥で眠っていた記憶が否応無く蘇ってくる。
『見ろよ、また無能エルフが来てるぜ』
『どうせ何もできやしないのに…』
『そんな簡単な事もできないのかよ、クズ』

学生時代、初等部から専門部を出るまで一環して、常に魔法が使えない事でいじめを受け続けてきた。
稀に友達ができる事もあったが、1週間としないうちに手の平を返したように離れていくばかり。
両親に相談しても、その話題は常に誤魔化され続けてきた。
信頼できたのは、常に自分の隣にいた姉妹だけ。
同じ顔を、同じ声を、同じ嗜好を、同じ癖を…同じ悩みを常に分かち合った分身のような姉妹だけ。
今もそれは変わらない。
──バカにされ続けて悔しくないのかい?──
「「少なくとも、彼方には関係ないわ」」
二人とも振り払おうと手を動かす。
しかし震え出した手は思うように動いてはくれない。
二人とも思わぬところで手から機材を取り零してしまう。
──あるさ…その無念を晴らすために…ボクが協力してあげるよ──


ライフとリーフがいる宿は青レンガ作りの建物である。
崖と森が近い為か、日陰は殆ど真っ暗である。
だからこそ注意して見ないと気付かない。
いつぞレクスを追っていた、あのフードの男が居た事に…

 

 

 
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