04:彷徨う者

突き抜ける青空の下、レクス達3人は山道を黙々と歩いていた。
渋々付いていく風なシスティルは、前を歩く二人に気づかれぬ程度の小さな溜息を何度漏らしたことか。
それに気づいているのかいないのか、前を歩く2人を見やる。
まず先日レクスの弟子になったという狼少女だが、延々と土の塊を魔法で変形させては崩し…を繰り返している。
レクス曰く魔法のコントロールの練習だそうで、与えられた課題は鳥の土人形を作る事。
最初は動物かすら怪しかった形だが、僅か半日で徐々にコツを掴みつつあるのだろうか、翼と思わしき突起まで表現できるようになっていた。
さて、課題を言いつけた師ことレクスだが、気になる事がある…と言い、ラティアが持っていた学校の教科書を借りて読み耽っている。
角はすっかり丸まり、表紙を含めたページは反った型が付いて綺麗に閉じる事もできず、その表紙も柄が擦れ落ちている箇所もあり、代わりに手垢だろうか、茶色に染まっている箇所も見受けられる。
中身も余白にメモや注釈が所狭しと丸い文字で書き詰められ、まだ半年と経っていない筈のそれはどれほど使い込まれているか雄弁に語っていた。
そんな癖の付いた本を気にする風も無く目を通していくレクス。
そんな両方とも足元がお留守のようにも見えた。しかし実際には違う。
途中木の根が地面から顔を覗かせていたのだが、レクスはその視線を逸らすことなく踏み越える。
しかしラティアは手元に夢中で思い切り引っ掛かり転んでしまった。
しかも手に持っていた土の塊を見事に枕にしてしまう。顔は一瞬で泥まみれだった。
「周囲の変化も侮って掛かるな」
レクスは歩速を緩める事も振り返る事もせず進み続けていた。
「は…はい!!」
すくっと立ち上がるが、ラティアはふと気づいた。転んだ弾みの痛みが消えている。
尤も喚き出すほどの痛みではないのだが、思い当たる節があって振り返ってみた。
丁度システィルがかざしていた両手を静かに下ろしていた所だった。
「真剣なのはいいけど、気をつけなさいね…捻挫したら大変でしょ?」
控え目ながら気品を伺わせる笑みを浮かべ、ラティアに優しく注意を促す。
尤もシスティルほどの魔法であれば捻挫もすぐ直せるものがあるのだが…。
「あ…ありがとうございます!」
すかさず返って来る元気な返事。
システィルはそんなラティアが眩しくも見えた。
足を止めずに歩くレクスとは距離が開いていたので、飛び跳ねるようにして距離を近づけるラティア。
そしてまた魔法の課題に集中し始める。
システィルが静かに浮かべた笑みは、そんな背中を見るとまたすぐ色を失ってしまう。
(1日でレクスを説得して弟子入り…レクスは活発な子がいいのかしら?)
ぼんやりと漂っていた視線はいつの間にかレクスの背を捉え、溜息を漏らしてしまう。
(…いいか…もう関係ない事だし)
ふとレクスを見ると、片手にラティアの教科書を持ったまま腰に下げていた剣に手を伸ばした。
一瞬不穏な気配でも察知したのかと思ったがそうではない。厳密には剣についていたサブスペルの入った石に手を伸ばしている。
「来い、ラル」
呪文というよりは呼び出しの一声。
一言呟いた傍からレクスのすぐ隣に空気中の水分が集まり、徐々に肥大化し、人の形をしたものへと変わっていく。
透明な水の塊は透き通る水色へと変わり、白い肌に澄んだ長く青い髪を称えた人間の女性の姿へと変わっていく。
レクスの契約妖精、ラルバートである。
「ふぁ〜なぁに…?」
見るからに眠そうな半眼を手で擦りながら現れる妖精にレクスが言う。
「魚3匹だ」
「ふぁ〜い」
地に両足を着けずにふよふよと浮きながら、林道の脇へと向かっていくラル。
その先には木陰になって気づかなかったが、川が流れていた。
半眼のまま指先をひょいっと捻ると、穏やかに流れていた川の水面が突然爆発したような水柱を立てた。
巻き上げられたと思わしき影が3つ、レクスの元に落ちてくる。
「ご苦労さん」
再び石に手をかざすと、小さくも強い旋風が落ちてきた陰3つを受け止めた。
ヒューロサーモンと呼ばれるこの地方に住む魚である。
「さぁ終わりねぇ〜戻って寝るわ〜」
口を覆いながら大欠伸…その様子自体隠そうともせず、ラルの人間を模した体は水になって崩れ、地面を潤した。
レクスはそれを気にする風もなく振り返る。
珍しいものでも見るように目を丸くしていたラティアと、呆れ返ったようなシスティルに向かって言う。
「さて、昼飯にするか」

レクスもラティアも料理に関しては殆ど出来ないと言っていい。
捕まえた魚を早速丸焼きにするのかと思っていたが、突如システィルが割り込んできた。
意外…と思ったラティアは一瞬目を丸めた。何せシスティルは貴族の出で聖職者。
なかなかイメージが噛み合わないのだ。
「料理の心得くらいはあるわよ、前に料理長にお願いして、少しだけ習ったもの」
「凄いです!貴族の方ってその…あまりそういう事しないイメージが…」
屈託の無い眼差しを向けるラティアを見ていて、ふと何かに気づいたように頬が震えるシスティル。
しかしそれも一瞬の事。再び柔らかい笑みを浮かべるのだった。
「そうね、財布に余裕のある貴族なら普通そんなものだと思うわ…さてレクス!」
レクスが目だけシスティルに向ける。
「早速調理具でも調達してもらうわよ」
「一先ず魔法精製でいいな?」
「いいわ」
一旦本を閉じると、何かを思い立ったようにラティアに視線を移す。
「丁度良い…ラティア、もう一度やるからよく見ておけ」
短くスペルを呟くと、周囲から粉のように細かい鉄の粒が浮き上がり、レクスの掌の上に急速に集まってきた。
否、鉄だけではない。近くの木々の枝も何本か、粒子のようにバラバラになると、それも集まって来る。
地面や石の中にある極々微量の鉄分や木を一度に掻き集めていたのだ。
瞬く間に一振りの包丁と1枚のまな板へと姿を変える。
「おおお…!」
改めて目の当たりにする師の技に感嘆を漏らさずにはいられなかった。
土くれで鳥の形を作れと言われ、半日かけてひよこの形もままならない。
対するレクスは一瞬で鉄の粒や木を集めて鋭利な刃物をも形成してしまったのだから、その技術の差は驚く他ない。
形成された調理具を手にしたシスティルも、レクスのその技術には驚いていた。
「Sランクは伊達じゃないわね…アッサリとこんなモノまで作れるなんて…」
「何だ試してたのか」
「違うわよ。ここまで鋭い包丁になるとは思ってなかったから…コレなら行けそうね」
システィルは打ち上げられた魚達に向くと十字を切り祈りを捧げ、魚を捌き始めた。
ラティアは早速レクスの真似をしてみる。が、出来上がったモノは贔屓目に見ても鳥には見えない。一体何の深海魚だろうか?
深く溜息をつくと、レクスを見た。
ラティアが渡した教科書を丁度読み終えたようで、教科書を閉じると軽く唸る。
「お前の腕が伸び悩む理由が分かった、問題は深刻だな」
「え…?」
問題と言われ驚きと、次いで不安がラティアの心臓に突き刺さる。
「この教科書は、無駄で余計な言い回しが多すぎる…その上必要な事項が所々抜け落ちている。わざと魔術師の質を落とそうとするような悪意すら見える」
ラティアは目が点になった。何せ自分の勉強の仕方や才能の無さが問題ではと予測した所を、予想の遥か上を行っていたのだ。
「でもそれ、教育庁推奨って聞いた事が…」
「ならこの国の教育庁から腐ってるという事だな」
あっさりと切り捨てるレクスに、続ける言葉が直ぐには浮かばなかった。
しかし、ラティアの中にはもう一つ疑問が思い浮かび、顔を覗き込むようにして聞いた。
「そういえば、先生はどこで魔法を覚えたんですか?」
畳んだ教科書をラティアの目の前に差し出しながら、ふと遠くをみるように目線を上げるレクス。
「高等までは普通に街の学校に…その後は、ふとしたきっかけで会った魔術師に師事する事にした」
「へぇ、私と同じですね」
「あぁ、そういえばそうなるな」
レクスは何時の間にやら、取り出した紙に何かを書き始めていた。
そんなレクス、そしてラティアの前に、大きな葉に盛り付けられた魚が差し出された。
「話は腰落ち着けてからにしたら?煮付けてもよかったんだけど、折角の鮮魚にいい包丁だもの」
「ほう、刺身か」
「サシミ?」
葉の上に盛られている魚の切り身は、ラティアには料理に見えないのだろう。首を傾げる。
「そういう東方の料理だ」
一言添えながら、鞄から小皿と醤油注しを持ち出し、早速箸をつける。
(醤油持ち歩いてるんですかっ!?)
ラティアが心の中で叫ぶ、師への最初の突っ込みであった。
「美味いな、何時の間にこれほどの魚の捌き方を覚えたのか」
レクスとラティアの視線に慌てて顔を反らすシスティル。
「おおお覚えてないわよそんな事!」
「まぁ話す気がないなら、気にしても仕方ない…ラティアも食うか?」
差し出される刺身を緊張した面持ちで見る。
刺身というのを初めて見るのもあるだろうが、どうも反応が芳しくない。
「いえ…その、私生肉や生魚が苦手で」
ついには耳も尻尾も垂れて糸目になり、う〜〜と唸りだしてしまう。
「あの、うにゃぁ〜っとした食感がどうしても…」
何ともいえない情けない声を上げるラティアに、レクスは思わず溜息を漏らしてしまう。
「魔法使いたがるワーウルフ、その上生肉が苦手と来るか…どこまで変わった狼なんだ」
「ん、分かったわ…レクス、鍋もお願い。あと醤油借りるわよ」
対するシスティルは苦笑を浮かべながら醤油注しを取り上げる。


「王都ソレスティア…本当に行く気?」
「ここ一ヶ月サーロッドを巡り歩いたが、全くの空振りだ…一度王都で情報を洗い直したい」
レクスとシスティルは、地図を広げて進む方角を定めていた。
その後ろでラティアは、刺身を使った煮物を頬張っている。
「海を渡る事になるわね…食料や必要物資は、予定通りレンダールで補充…そのまま海を渡るコースになるかしら」
「ああ」
「今日の夕方までにはレンダールに着きそうね」
恐らく今いるだろう、おおよその地点からおおよそ掛かりそうな時間を予測するシスティル。
「明日朝一の船で渡るから、買出しはさっさと済ませるぞ」
「海渡るんですか…?帆船乗るの初めてです!」
ソレイラントは本土と巨大な島、サーロッドにより構成され、レクスとラティアが出会った街レゲンベルタやフォーリア侯爵領…また現在位置もサーロッドに属する。
このサーロッドと本土の間を定期船で結んでいるわけだが、サーロッド側の海の玄関口に当たる港町がレンダールという街である。
レクス達が今歩いている山道も、もう間もなく開けて海が見えてくるようになるだろう地点であった。
「とりあえずそろそろ行くか」
立ち上がるレクスに、ラティアとシスティルも続く。


レンダールに到着した3人は一先ず適当な宿を見つけ、必要物資の買い物を済ませた。
レンダールは陸と島を結ぶ港町だが、サーロッドから渡って北東部の国々との交易もあるため、非常に規模の大きな街である。
通りは露店で溢れ返り、様々な旅行者や行商人…要人の姿も見受けられる。
また、半世紀前より20年続いた戦争時代から重要拠点であった上、昨今の巨人暴動事件による混乱もあり、常に街には二個中隊が駐屯していた。
そういった警戒が行き届いている面から、レクスは今回あえて宿を取ったのである。
さて、ラティアを宿に待たせてシスティルと買い物に出たわけだが、その喧騒たるや半端ではなく、必要物資を掴むのがやっとで人込みに揉まれて終始したようなものだった。
買い漁った荷物を片手に、街の役所へと訪れたレクスとシスティル。
システィルはベンチに腰を下ろして小さく溜息をつく。その顔には流石に疲れの色が伺えた。
「そうか…分かった」
一通りの用事が済んだのだろう、レクスが帰って来る。
相変わらずのポーカーフェイスではあるが、システィルにはどこか落胆の色が見えたような気がした。
「見つからない…?」
レクスが何を探しているのか、システィルは知っている。
複雑な腹の内は、そんな言葉を紡ぐのも一瞬と惑わせ、上目遣いにレクスを見上げるように問う形になった。
「ああ…」
システィルの横に置いていた荷物を拾い上げながら、情の篭っていない返事がレクスの口から漏れた。
「そう…」
気の無い返事はシスティルも同じだった。
彼女とて関心がないわけではない。
それは複雑な念が吐かせる言葉。
宿への帰り道もまた二人とも口を開かない、重苦しい空気に包まれたままであった。
フォーリア領の街と一味違う喧騒も、潮の香り漂う港町の空気もどこ吹く風である。

宿に戻り、部屋の前まで辿り着く。
レクスがドアノブに手を伸ばした所で漸くシスティルが口を開いた。
「ねぇレクス…」
返事なく顔がシスティルに振り向いた。
普段から素っ気無いのは分かっていたが、この空気ではそんな態度もどこか気押されるような圧迫感を感じた。
反射的に呼んだ部分があり、一体何を話そうとしたのかも分からなかった。
困惑して視線が泳ぐ。
「フィル姉さんの事、今でも…」
「…ああ」
目を逸らすように正面に向き直るレクス。
「すまんな」
ドアを開き入っていくの置き台詞の意味を理解しかねた。
何故謝るのか理解できず、後を追って部屋の中に入っていった。
「レクス!」
「先生ーーー!!!」
レクスに食い下がろうとしたものの、中から飛びついてきた人物の勢いに阻まれてしまった。
その人物、ラティアは興奮気味にレクスの前に踊り出ると、持ち込んできていた土くれの塊を見せた。
「見ててくださいよっ!」
目を閉じて集中し、短く呪文を口にする。ここ数日ずっと唱え続けて練習してきた呪文である。
そして見る見る土の塊が形を変えていく。
「ほう…」
ラティアの手の上には鳥の形をした土人形が出来上がっていた。
「まぁ鳥と言えば鳥だが…頭がミミズクで体が鴨なんて生き物、幻獣にも居ないぞ?」
呆れた声で評価した。
師の失笑を買ってしまったが確かにそうだ。
苦笑するレクスの後ろでシスティルは、気がついたら帰り掛けの重い空気が拭われていた事に気付いた。
(何て子…レクスを動かせるなんてフィル姉さんくらいだと思ってたけど…)


夜が空けて朝靄が晴れる頃には連絡船の第一便が出港する。
主に使われる大型の帆船で1日で本土に着く。
海を渡る乗客が次々とタラップを渡っていき、全長100メルタ(100メートル相当)を越す大きな帆船の上は様々な人で溢れ返っている。
レクス達3人もそんな中にいた。
甲板の手摺りから身を乗り出すようにして潮の香りを胸いっぱいに吸い込むラティア。
そんなラティアを優しく嗜めるシスティルに、海風に煽られながら真新しいノートに羽根ペンを走らせるレクス。
「レクス、何してるの?」
「ラティアの新しい教科書みたいなものだ…もう書きあがる」
言っている傍からペンをしまい、20枚程度の文字がぎっしり羅列した紙の束に糸を数箇所通し、即席の本にする。
ソレをラティアに渡すと目を輝かせ、夢中だった対象が海の景色からレクス手製の本に移った。
早速その中身を一字一句まで頭に叩き込むかの如く読み漁り始める。


出航から数時間。
レクス達は甲板で取り留めの無い話をしながら、すっかりサーロッドの陸が見えなくなった海原を眺めていた。
「「あら、レクス…?」」
奇妙な声が背後から聞こえた。女の声が2人ほど重なって聞こえたのだ。
すっかり本に夢中なラティアはともかく、レクスとシスティルが振り向くと二人の女のエルフがいた。
まず目に付くのは同じ顔が2つ並んでいた事。早い話が双子だ。見てみれば格好も仕草も全く変わらない。
革製ワンピースに長い手袋とブーツ、そしてローブを崩して着たマントに大きめの麻袋を二人して肩からぶら下げている。
透き通る明るい緑髪を肩口まで伸ばし、エルフ特有の長い耳がその先端を覗かせる。そして知性を伺わせる切れ長の目が眼鏡の奥からレクス達の様子を伺っていた。
「リーフとライフ…此処で会うとは珍しいな」
一瞬目を丸くしたのは意外な知人を見たからだろう。レクスが向き直った。
それからふと、システィルと漸く顔を上げたラティアが怪訝な表情をしているのを見て言う。
「あぁ、師匠の娘達だ。左利きのが姉でライフ・バラッド、右利きのが妹のリーフ・バラッド」
レクスが紹介するごとにそれぞれお辞儀するが、正直ラティアでなくとも見分けがつかない。
さりげなく利き手を言っている辺り、恐らくレクスも彼女らの挙動から判断せざるを得ないのだろう。
「先生の先生の…!?って私、この前先生に弟子入りしたラティア・カルチェットです!」
「「先生…?彼方が弟子を取るなんて、一体何があったの?」」
「ちょっとした気の変化だ」
「「そう…」」
「それにしてもレクスの師匠のご息女なんて、やはりお二人…」
システィルが言い掛けた言葉を遮るように、レクスが腕を掴んで引いた。
訝しげにレクスに視線を向けるが、何も答えない。
「「別にいいわ、事実だし」」
レクスなりの気遣いではあったが、別に今更といった調子で気にも留めていないのだろう。
「「私達、マナキャパシティがごく微量なまま全く伸びない体質なのよ…信じられないかもしれないけどね」」
ラティアもシスティルも目が丸くなる。
マナキャパシティは加齢だけでも増えていく上に訓練でも大きく底上げできる。
それが当然であり、そんな障害聞いた事がない。
「「尤も、極端に少ないだけで全く使えないわけじゃないけど…実用に向かない事に変わりは無いわね」」
ラティアとシスティルの視線がレクスに向くと、レクスはどこか呆れとも諦めとも言える溜息と共に目を伏せる。
「本当だ、俺も何度か揺さぶってみたしな…師匠は何か知ってそうだが、コレについては誤魔化されてばかりだった」
「「理由はそのうち分かればいいわ…色々言われる事はあるけど、もう魔法を使う使わないに拘ってないもの」」
あっさりと切り捨てているようだが、その言葉の裏には想像以上の苦労があったに違いない。
魔法社会における世の中、それも魔法が得意な部類に入るエルフが魔法を使えない…世間からは肩透かしの念が篭った白い目で見られる状況は想像に難くない。
憂いの表情を浮かべるラティアとシスティルの様子を見ると、レクスは話題を変えることにした。
「錬金術の研究、続けてるのか?」
「「何度も言うけど錬金術じゃなく真理学よ、今は実験も兼ねてゴーレムを製作中ね」」
「ほう…」

その頃、マストの上に設けられた見張り台では迫り来る存在に気付きつつあった。
望遠鏡で海の様子を見ていた見張りの船員が、水面に映る影を見たのだ。
「んん?」
流線型をした影に白みが刺す。
全長は80メルタを越すかなりの大型だ。
そして水面から覗かせた一部を見た時、船員の緊張は最高潮に達した。
慌てて伝声管に怒鳴りつけた。
「ジャイアントクラーケン接近中!!5時の方角!距離4700メルタ!!」
ジャイアントクラーケン…主に遠洋の深海を生活圏としている超巨大なイカだが、稀にこういった場所で確認される事がある。
そういった固体は獲物を探して迷い込んだという説があり、そういった固体は特に獰猛になり、100メルタ級の船舶すら沈めて中の人間を捕食する事もある。海で恐れられている怪物である。
そう、今正に迫ってきているソレがそうなのだ。
船員達が急に血相変えて駆け回るのも当然である。

船員達が急に大慌てで甲板を駆け回り、船が進路を変えた事で、乗客達(無論レクス達を含む)が異変を感じ、中には不安を抱く者が出てくるのもまた自然な事だった。
レクスの傍に突然、呼んでもいないのに水の妖精ラルバートが現れる。
マナの供給が無いので像を見せる程度のものだが、話しかける分には問題ない。
「ちょぉ〜っと面白い事になってるわねぇ〜…ジャイアントクラーケンが迷い込んだみたいよぉ?」
眠そうに半眼開きで背伸びをしながら、レクス達に事の真相を告げた。
事態の深刻さに反応したのはラティアとシスティルだった。
直接見た事はないが、ある程度の知識としてジャイアントクラーケンがどれほど危険な生き物かは知っていた。
否、知っているという面では双子のエルフもまた同じだろう。
しかしレクスと併せて3人は動じる風もなかった。
それどころか普段と変わらぬ調子で、レクスは甲板の手摺りに肘をつき、ラティアに問いかけるのだった。
「丁度いいな…ラティア、あのイカを退治するとしたらお前ならどうする?」
「ええ?!」
「ちょっとレクス!今はそんな暢気な事言ってる場合じゃ!」
しかしレクスの調子は変わらない。
その調子を見ると、ラティアもシスティルも合点がいった。
ソレくらいで動じるほど、この男は弱くはない。
そう悟るとラティアは改めて考えを巡らせる。
「考えるのはあのイカが近づいてくるまでだ」
急に告げられたタイムリミットの中で有力だろう案を絞っていく。
「雷撃魔法…」
しかし考えを巡らせる内に違和感に気付いた。
「…違う…」
再び思考を巡らせていく…しかし巨大な脅威はぐんぐんと近づいてくる。
海中を自在に泳ぐイカに対して、帆船ではあまりにもスピードが遅すぎるのだ。
愈々肉眼でもその影がはっきり分かる距離にまで近づいてきた。
「時間切れだ…俺なりの正解の一つを見せてやる」
それだけ告げると、レクスは急に手摺りを乗り越えて海へと落下していく。
「あ…!」
流石に一瞬慌てるラティアとシスティル。
対して双子のエルフは何も言わずレクスの背を見送った。
落下していくレクスの体は急に大きくなり、青い鎧に包まれていく。
巨人魔法だ。
海面に衝突する瞬間、剣の石が輝き小さく呪文を口にすると、急にレクスの体が宙に浮き上がる。
対する巨大イカは急に目の前に現れた獲物に標的を変え、海面から足を伸ばしてきた。
何十メルタとある長大な足はレクスを絡め取ろうと振り回される。
見ようによっては鞭のように見えなくもないが、そのサイズはあまりにも破格すぎる。
しかしレクスは何も問題にはしていなかった。
長いとはいえ限度はある。
距離を取ってしまえば問題は無かった。
「ラヴィルオ…」
剣の石の輝きと共に唱えると、海水が巻き上がってレクスの剣に纏わりついた。
それを見て流石のラティアも怪訝な顔をした。
水生生物を相手に水で攻撃する…という事なのだろうか?
そんな事を考えている間にも、レクスとジャイアントクラーケンの戦闘は続いていた。
再び軽く距離を詰め、相手に攻撃を促すレクス。
クラーケンは条件反射的に再び足を伸ばしていく。
その瞬間だった。
レクスの剣の間合いではないだろう距離で剣を振ると、突然剣に纏わり付いていた水が消え、クラーケンの足が真っ二つに切断され、切断された足が海面に派手な水飛沫をあげて倒れたのだ。
ラティアもシスティルも何が起こったのか全く見当がつかない。
しかし隣にいた双子は違った。
「「魔法でウォーターカッターなんて使う奴初めて見たわ…」」
呆れた調子で声を重ねる。
「うぉーたーかったー?」
「「超高速で撃ち出す水で、対象の切断面を”吹飛ばす”要領で切断する技術の事よ。乱暴に言えば強力な水圧で切り裂く技…。理論上は魔法でも使える芸当だし、基本的には扱う水の量だけのマナ消耗で済むけど、それだけ高速で撃ち出すとなると半端な技術と集中力じゃ不可能ね」」
ラティアはその技術の存在を知った上で漸く納得がいった。
海上戦ならばなるほど、ウォーターカッターで用いる水はわざわざマナで作り出す必要なくほぼ無尽蔵に調達できる。
その上上空に距離を取ってしまえば、相手が手も足もでないのならば一方的に手を出す事ができる。
だがもう一つの疑問が浮かぶ。
コレで相手が海中に逃げてしまったらどうなるのか…?
そしてその疑問はすぐ的中する事になった。
怒りを露に次々と足を伸ばしてくるものの、合わせて3本ほどの足が切断され、ついにクラーケンは海中へと身を潜める事となった。
影が徐々に薄くなる。相当深く潜ったのだろう。
レクスも続いて海の中に飛び込んだのだった。
ソレを見ていたラティアも続けざまに海の中に飛び込んでいく。
素早く指先で魔法陣を描き海面に叩きつけられるだろう瞬間には突然海面が人一人程度の大きさの渦を形成し、ラティアを包み込んだ。
渦の窪みと共にラティアは海中へと沈んでいく。
渦で巾着状に海中に空洞を作り、海面と細い渦の管で繋ぐ。
海流に流され易い泡より制御し易く、また呼吸用の穴も維持出来る為、マナが続く限り長時間水中での活動が出来る。
そんなラティアの様子を見ている人物がいた。
「泡ではなく渦で海中に潜るとは…面白い小娘がいたものだ」

一方、戦場を海中に移したレクスは、深海から高速で迫ってくるクラーケンを静かに見据えていた。
ラティアは息を飲む。
水の抵抗の概念は知っている。それだけに水中でウォーターカッターを使おうにも相当距離は限られるだろう。
一体どうするのか、その先が気になったのもあった。
近づいてくるクラーケンを見据えながら距離が詰められていく。
不意にレクスの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「ラヴィルオ!」
やはりウォーターカッターを使うつもりなのだろう。
しかしまだ距離がある。
そんな距離で使っても、良くて精々水鉄砲だ。効果は期待できないハズである。
しかし…
「う…嘘!?」
海中でラティアは声を荒げた。
効果は薄いと思っていたハズが、何とクラーケンの頭から足元まで真っ二つに切り裂いてしまったのだ。
何故…と思案するうちにすぐ答えに辿り着いた。
発動させる位置を剣先にしたのではない。
事もあろうにクラーケンの目の前で発動させたのだ。
即ちゼロ距離でのウォーターカッターである。
効果が薄いどころか、海中是凶器としてしまった。


船上の混乱は漸く収まり、ジャイアントクラーケンを退治したレクスは甲板で船長始め乗員の間で持て囃されていた。
尤も当人は気にした風もなく…寧ろ集る人込みを少々疎ましく感じながら甲板のベンチに腰を下ろしているだけであった。
小一時間ほどでその喧騒から開放され、双子のエルフを含めた5人で漸く落ち着く。
「まだ詰めが甘いな…」
隣に腰を下ろしているラティアは耳と尻尾を垂らして見るからに気を落としている。
「だから俺の舎弟になったんだろう?なら俺から搾り取れる知恵も技術も搾り取って行け」
漸く顔を上げ、一瞬呆気に取られていたものの、すぐにいつもの元気を取り戻した。
「は、はい!」
「「でもなかなか見込みある子じゃない」」
「私もそう思うわ…色々とね」
「全くだね」
便乗してきた声に全員が顔を上げた。
そこには一人の青年が立っていた。
25前後だろう人間の男。
金の刺繍が入った裾の長いアンダーウェアに鎧を着込んだ騎士がそこにいた。
その装備を見てレクス以外の全員が目を丸くする。
ソレイラント国王直属騎士団シュヴァリエ・ド・シャッフルの装備である。
しかも胸当てに描かれた紋章には騎士団の中でエースを意味する”A”の字が鎮座している。
「ジョセフか」
「久しいな、スペードのクイーンを探して国中をウロウロしてると聞いたが…こんな所で会おうとは」
シュヴァリエ・ド・シャッフルと言えば国民の多くが憧れる精鋭部隊である。
よもやまさかレクスがそのような人物とさえ知り合いとは、システィル達は唖然とする以外に無かった。
そんなレクスの連れの反応を見て、この精悍な顔つきの騎士は豪快に笑う。
「はっはっはっ!なぁに、こいつの入団試験で顔見知った間柄さ。試験に合格していれば、俺のエースの地位を脅かしてただろうよ」
悪びれた風もなく言ってのけるジョセフはラティアを見た。
「流石レクスが取った弟子というだけある、少し見てたがなかなか面白いな」
「「そうそう、さっきのだけど良い所に気が付いたと思ってね…何で雷撃魔法を否定したのか」」
急に視線が集まったラティアは一瞬慌てた。
「ええと…船の上だからです。水中の相手だから逃げ場無く攻撃は当たるけど、船まで巻き込んでしまうから」
ラティアは続けて海を見た。
「それに雷撃は広範囲をカバーできるけど、その分マナの消費も膨大になってくるし」
「正解だ」
レクスが唸った。
決定的な対処法を思いつかなかったのはまだまだだが、その目は相変わらず確かなのだろう。
ジョセフも頷くと、再びレクスに視線を戻した。
「お前達は本土に着いたらどうするんだ?」
「俺達は王都へ向かう」
「「あら、彼方達も?」」
どうやらこの双子も目的地は同じ様だった。
「何だ、じゃあ船を下りたらお別れか」
「また任務なんだろう」
「ああ」
レクスは苦笑しながらも詮索はしなかった。
恐らくまた王の密命で行動しているのだろうと踏んだ。
「スペードのクイーンだが、此方でも捜索はしている…が、何かあったら連絡してくれ」
「分かっている」
レクスが立ち上がると船内に用意された部屋へと向かっていく。
その後ろ姿を見ながら、ラティアはシスティルに小声で問いかけるのだった。
「先生が旅してるのって…誰か探してるんですか?」
その問いに思う所があるのだろう、急に表情が曇ってきたシスティルはゆっくりと口を開いた。
「…ええ、レクスにとってとても大切な人…ある意味私にとっても…ね」
恐らくそれが、ジョセフの言うスペードのクイーンなのだろう。
何せ旅の目的について、レクスは今までラティアには一言も言わないのだ。
「大切な人を探して…なんだ」

 

 

 
  <<戻る