01:先を往く者
例えるならそこは、中世イギリスの様式を醸す街並み。
その国は多くの人が、種族が、自由に往来する世界。
耳の長い者、尻尾を持つ者、獣独特の顔つきや体毛を持つ者など、その姿も様々。
彼らは言う。
あらゆる種族も分け隔てなく自由を与えてくれるこの国は天国だと。
その国に今、影が差し始めていた。
図書館でひと時を過ごす者は、その世界ではとても多い。
この世界では「魔法」というモノが発達・多様化し、それらを正しく管理する免許制度が国を挙げて導入されている。
当然魔法に関する知識も非常に膨大な物となり、その学習に余念のない者達が屯するのは当然の流れだった。
一人の少女に注目してみよう。
彼女は狼の耳と尾を生やした、年齢を人間基準で見るなら17・8ほどの歳のワーウルフ族の少女だ。
ワーウルフは今世界的に希少種になっている種族だが、彼女のように魔法習得に熱心なワーウルフは輪を掛けて少ない。
その種族は優れた運動神経と勘を持つ為、また魔力の扱いが基本的に上手くない。あえて魔法を覚える必要がない種族だ。
故に彼女がこの場で魔法書籍を貪るように読み耽るなど、それだけで珍しい光景であった。
くりっとした目が可愛らしい顔立ちに癖っ毛ながら肩まで伸びる金髪は、美少女と言うに十分で、狼というより子犬のような印象さえ伺わせる。
そういった要素が、彼女の傍を通る人々の視線を奪う。
だが、ワーウルフの彼女…ラティア=カルチェットは歯牙にも掛けていない。
魔法書籍の内容を、一言一句全て覚える勢いで何度も目を通し、何冊目になるのか、ノートの上をペンが走る。
「…ふぅ〜」
集中が途切れる頃には既に正午を軽く過ぎ、午後2時になっていた。
そろそろお昼にでもしようかと、ふと頭を過ぎった瞬間、長時間集中しっぱなしだった身体は大きく息を漏らす。
ワーウルフの恵まれた視力もすっかり落ち、遠くの時計を見るにも一瞬目が霞むほど。
我ながらよくぞこんな必死に…と溜息に続き僅かに嘲笑を浮かべてしまう。
それも束の間、本を返却して図書館を後にしたのは間もなくのコトだった。
学校は現在、夏の長期休暇中。
図書館から1歩外に出れば、大通りの人の波に飲まれることは避けられない。
特に最近は、隣国で有名な劇団が公演に訪れているコトもちょっとした話題となっていて、街は普段より数段輪を掛けて賑わっている。
「今日のお昼どうしようかな…マックナルドのホットドックでもいっかな」
そんな周囲の話題もどこ吹く風。
遅めの昼食を適当に考えながら、先程のノートの内容に視線を走らせる。
とある東洋料理店。
外の様式とは打って変わって内装は和風作りの飲食店。
そこにも少し遅めの昼食を取る者がいた。
飲食店の稼ぎ時を過ぎ、静かな店内に響くのは、蕎麦を啜る音と、ラヂオと呼ばれる「遠方の特定の音を拾う魔法」を自動再生する装置の音。
その一方である蕎麦を啜る音を立てる主、レクス=アルベイルは、ふと箸を止めて店主に尋ねる。
「ん…?オヤジ、このつゆいけるな…何の出汁使ってるんだ?」
「旦那いい味覚してるねぇ〜わざわざ極東のワコクから昆布取り寄せてるんだが…その甲斐があるってモンよ」
細身に長く尖った耳を持つ中年男性の店主が威勢良く応える。
なるほど…と言いたげに首を振りながら再び箸を動かすレクス。
『巨人連続暴動は、未だ犯人の行方は掴めず…』
ラヂオから流れるニュースを聞き流しながら蕎麦を啜り続けるレクスに、店主がふとぼやく。
「物騒な世になったモンだなー。20メートル級なんてジャアント族でもそうそう居ないバケモンが暴れたら、街なんて1発で吹っ飛ぶぜぇ?」
ここ最近、謎の巨人が各地で暴動を起こす事件が多発している。
意図も目的も分からず、一通り暴れたら霧のように姿を消すため、犯人が誰なのかも分かっていない。
「あぁ…全くだ。面倒な事をしてくれる…」
食べ終えて手を合わせ、席を立つ。
やや大きめの鞄と、鞘に納まった大降りの剣を担ぎ上げ、代金を値段キッチリでカウンターに置く。
「ご馳走になった。また落ち着いて立ち寄ったら、定食と一緒に頂くぞ」
「オウ!毎度ー!」
その国は今、平和を享受する只中にある。
世界中で散発的な闘争はあれど、直接この国に関係する出来事ではない。
それ故に多少の危機意識はあろうとも、その平和の中に突然”異物”が紛れ込んだらどうなってしまうのか。
「うーん…あとは学校で自主トレかなぁ…?」
ホットドックを頬張りながら街を歩くワーウルフの少女。
足は学校に向かって進んでいたが、人の流れが変わった事に気付いて足を止める。
例の劇団が今公演をしているという劇場の前だった。
街ではこの話題で持ちきりだったし、友人も何人かこの劇団の公演を楽しみにしていた。
人々の流れがこの劇場に吸い込まれていく所を見るに、間もなく公演が始まるのだろう。
だが、誰もが予想だにしなかった事態は正に、その瞬間起こった。
それはラティアが見つめる劇場の中での事。
劇団員の一人と思われるリザードマンの男は、その日朝から体調不良を訴えていた。
単なる頭痛ならいいのだが、時間と共にその症状は悪化し、今や頭を抱えて転がり回るほどの事態になっていた。
さすがの団員達も見るに見かねて医者に連絡を取ろうとしていたのだが…。
「どうした!医者は!?」
「ドアがどこも開かないんだ!鍵開けても開かないし、ドアの前に何か詰ってるワケでもなさそうだ」
「何だそりゃ…」
「外と連絡が取れない…楽屋だけ隔離されたみたいな感じだ」
外からは知る由もない、劇団を襲う異常事態。
その楽屋の閉ざされたドアを見つめるのは、漆黒のローブに身を包んだ男…。
声を殺して口元に笑みを浮かべながら、誰に言うというわけでもなく呟く。
「…上等な駒だ…使わせてもらうよ」
灯りのない廊下の闇に、黒い粒子となって消えていくローブの男。
先程の頭痛でのたうち回っていたリザードマンの男が次の異変を見せたのは、正にそれと同時だった。
「があぁアあぁ!?身体が…っ 裂け…るゥゥゥ!!?」
それはリザードマンの男が、彼の人格として最後に放った言葉だろう。
彼を見ていた団員達は、彼の皮膚が瞬く間に岩のように硬質化し、その身体が膨張し、巨大化していく光景を目の当たりにすることになる。
「おい!ビッケル!?一体何が…うわああああ!?」
瞬く間に進む巨大化は、部屋を埋め尽くしても続き、部屋の設備も団員達も同時に押し潰し、遂には20メートル以上はあるだろう巨人として劇場を内部から崩壊させてしまった。
外にいたラティアが見たのは、岩トカゲの巨人が劇場という繭を突き破って出てくるその瞬間だった。
あまりに突拍子もない出来事に後ずさり、足が縺れて転げてしまう。
「何よアレ!?」
劇団にあんな大それた催しがあるなど聞いた事もない。
続いてラティアの頭に浮かんだのは、昨今この国の各地で起こっている巨人の暴動の事件。
今まで地方の村でしか起こっていなかったが、愈々この街でも起こったのだ。
一斉に劇場から逃げ出す人々。
転げてしまったのは不運と言うほかないだろう、逃げ惑う人々の波が容赦なく襲い掛かり、彼らのせわしなく動く足が次々と強くぶつかってくる。
「ちょっと…痛い!待ってよっ!」
逃げ惑う人々を余所目に、当の岩トカゲの巨人は目の前の劇場の建物を、自慢の豪腕で粉砕していく。
吹き飛ぶ建物の破片が逃げ惑う人々の波の中に落下し、その度に悲鳴が響く。
今の今まで劇を楽しみにしていた人の波は、正にその異物一つで地獄絵図へと変貌してしまった。
「待ってよ…何なの…?」
足が竦んでいるのが分かる。逃げようにも足がうまく動いてくれない。
そして目の前では、逃げ惑う人々の波から零れラティアに気付き、大口を開けて火球を作る巨大な岩トカゲの姿。
それは明らかに自分への殺意。
逃げ場が無いと悟った時には、ラティア自身前へ飛び出していた。
飛んでくる火球は元居た場所で爆発し、大きなクレーターを作る。
もちろんそんな事を気にしている暇はない。
「どうせ逃げられないなら…!」
巨大な岩トカゲの足元まで迫ると、手にマナを込め、宙に魔法陣を描いていく。
その素早く流れる手に沿って虚空に光の筋が浮かび、魔法陣が出来上がっていく。
岩トカゲも足元に迫ったラティアを踏み潰そうと足を持ち上げていき…今まさに足が落ちてくる所で魔法陣は完成した。
「いっけええ!!」
踏みつけと魔法の激突は、岩トカゲの足元で大爆発を起こす。
ゆっくりと晴れていく爆煙。そこには傷一つなくラティアの居た地面を踏みつけている岩トカゲの足。
獲物を屠ったと確信した岩トカゲは、次の破壊対象に目を配らせる。
しかし…
「無茶する犬も居たものだ…そろそろ下ろすぞ」
岩トカゲの背後から確かに声が聞こえた。振り向けばそこに影は3つ。
たった今岩トカゲに挑んだラティアの姿。
淡い緑色の毛並みを持つ、体長3メートル近い大きな狼。
そして、先程東洋料理店を出たばかりのレクスが居た。
「え?あれ…?」
ラティアが踏み潰される寸前、狼が掠めるようにして助けたのだろう。
しかし当のラティアは一体何が起こったのか、状況が飲み込めずに狼とレクスと岩トカゲの間で視線を泳がせる。
「下がっていろ… レン!もういいぞ」
レクスの声に応えるように、風と共に消えるレンと呼ばれた狼。
ソレと同時に今度はレクスが岩トカゲに向かって走り出す。
「ちょ…本気ですかっ!?」
「別に…本気で相手するまでもないっ」
持っていた剣を引き抜き、大きく飛び跳ねる。
一瞬自らの足元に指を伸ばしたのは、ラティアでさえ気をつけて見ないと分からないほど手馴れた手つきで魔法陣を描いた動作だろう。
その魔法のおかげか、高く飛び上がって腕に切りかかる。
さすがに剣術を専門としていないのか、或いは切るつもりはないのか、腕の岩に阻まれる。
「無茶をする…自分を媒体に巨人魔法を使うなど正気じゃないな」
ある種の哀れみさえ篭った目で語りかけるレクス。
自分自身を媒体に巨大化する魔法は、二度と元の姿も意思も取り戻せなくなる禁断の魔法の一つ。
ところが次の瞬間、レクスは確かに意思が宿ったのを感じ、距離を取る。
「一目で見抜くとはなかなかいい目をしている…厳密には違うがな」
レクス達は知る由もないが、察しはつく。その声は明らかに元のリザードマンの声とは違う事。
「流石にSランクの魔法使いは違うな…レクス=アルベイル」
「ええええ!?」
岩トカゲの物言いはともかく、後ろからの声にまだ逃げていなかったのかと溜息をついてしまう。
「別に有名人になるつもりで取った免許じゃないんだがな…」
改めて表情を引き締める。
「一応国からの依頼だ…巨人の暴動に遭遇せし場合阻止すべし…とな」
持っていた剣を逆手に握り直し、剣の柄尻に青い宝石を嵌める。
すると宝石からレクスの周囲に巨大な魔方陣が浮かび上がり、剣が光の塊となってレクスを包んでいく。
ついには天に届くほどの巨大な光の柱となり、途端にその光の柱が散っていく。
そこに居たのは、レクスの剣の鍔の意匠をどことなく彷彿させる甲冑に身を包んだ、細身の鎧の巨人だった。
その手には、レクスが握ってきた剣と同じものが、身の丈相応に巨大化して握られている。
とはいえそれでも全長15メートルほど。岩トカゲの胸ほどの大きさだった。
「あれでもまだ…」
「コレだけあれば十分だ…身長なんて尺の差はそんな問題にはならんよ」
言い終わるより早く動いたのは岩トカゲの方だった。
その体格差で押しつぶそうと両手を突き出して襲ってくる。
「遅い!」
腕の間を縫うように自身の重心をずらし、そのまま背負い投げにしてしまい…更には…
「メルティア!」
投げ飛ばす瞬間、腕に押し当てていた剣の宝石と相手の腕の間で爆発魔法が炸裂。
すっかり人気の無くなった通りに派手に大の字に叩きつけられてしまう岩トカゲ。
信じられないような顔をし、ついに逆上した岩トカゲは、獣のような咆哮を上げながら再び襲い掛かっていく。
その鬼気迫る迫力や突進力は、間違いなく先程以上だろう。
だが、レクスは怯む様子は全く見せない。
「腕1本の怪我くらいは許せよ…グレリオ!」
剣を地面に突き立てると、高らかに呪文を一つ唱える。
すると、剣を突き立てている地面から、いくつもの岩の爪が岩トカゲに向けて襲い掛かる。
それは攻撃としての爪ではなかった。
元々機敏な動きではない岩トカゲにいくつも岩の爪が襲い掛かるものの、表皮に当たった瞬間爪の先は広がり、無数の岩の手となって岩トカゲの動きを封じてしまったのだ。
彼の戦いぶりを見ていたラティアは、自分でも驚くほど冷静に見ていた。
彼は呪文一つで魔法を発動させている。
一言で済むような呪文も無くはないが、ここまで強力なものは見た事がない。
「剣の宝石…!あの石の中に長い魔法の呪文を省略できるだけのサブスペルが入ってるんだ…!」
分析は的を射ていた。
勿論そんな芸当はそこらの魔術師ではできない高等技術。
しかも爆発魔法から巨大媒体を通しての巨大化まで、補える呪文の量は半端ではない。
それは正に、彼がそれほどの魔法技量を有している何よりの証拠だった。
一方、レクスは動きが止まった瞬間を逃すはずもない。
先程の爆発魔法で表皮の岩が剥げ落ちた腕に剣を突き立てると、レクスは次の呪文を唱えた。
「ペルセリア!」
剣の宝石が輝くと、岩トカゲを変貌させていた大量のマナが剣に一気に吸い取られていく。
相手の魔法の原動力…マナを強奪する魔法。
そしてそれは、リザードマンの男を岩トカゲにしていた魔力がなくなるコトを意味していた。
20メートルを越す巨大なトカゲは急速に姿を縮め、遂には元のリザードマンに戻っていく。
膨大な量のマナを吸った剣を天に掲げ、マナを大気に開放すると、レクス自身も魔法を解き、元の人間の姿へと戻っていく。
「やれやれ…昼飯直後に何させるか…」
遠くから聞こえる保安員や医者達の警笛の音を聞き、事態の沈静化を悟る。
踵を返して去ろうとするが、ふと気が付いて振り返る。
「そこのワーウルフ…何でお前逃げなかったんだ?」
最初見たとき…岩トカゲに襲われて応戦せざるを得なかった状況は分かる。
しかし自分が助けた後、すっかり傍観を決めていたのはさすがに妙な感覚が残る。
しっかりと立っている辺り、腰が抜けたというワケでもあるまい。
「え…あ…!あの…」
再び声を掛けられるラティア。
先程の差し迫った緊張感から開放された直後の為か、驚いたように声が上ずってしまう。
混乱した頭を静めようと頭を振り、深呼吸をする。
その様子はレクスにはひどく滑稽にも見えたのだろう、思わず苦笑してしまう。
「…私、ラティア=カルチェットと言います。先程はありがとうございましたっ」
「気にするコトはない…それで…」
「それと…僭越ながら魔術師資格Sランクの方とお見受けしてお願いがあります」
改めて問い直そうとするが、言葉は途中で遮られてしまう。
そしてその内容はあまりに突拍子も無いことで、苦笑の表情は一転。驚きの表情に塗り替えられることになる。
「私を…あなたの弟子にしてください!」
驚き、次いで頭を擡げる。
今までも何度かあったコト…返答にさして時間はかからなかった。
「断る」
「ええ!?」
レクスを遠くから見つめる視線が一つ。
その視線の中に、程なくして保安員達の姿も飛び込んでくるが、その注意はレクスを捉えて離れない。
それは黒いローブを纏った男。
あのリザードマンを、怪物の巨人へと作り変えた男。
「ついに…邪魔者らしい邪魔者が出てきたってワケだねぇ…まぁいいさ…何とでもなるか」